オリンピック4位という人生BACK NUMBER
<オリンピック4位という人生(15)>
ロンドン五輪 柔道・福見友子
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byAFLO
posted2020/08/16 11:30
女子48kg級準決勝で敗れ、しばし宙を見つめる福見友子(上)。
「一生悔いが残る試合でした」
チェルノビツキが泣いていたことも覚えていない。記憶は白い靄に覆われている。
ひとつはっきりしているのは、畳を降りてミックスゾーンまで歩き、報道陣に囲まれた時に、そこで周囲にとっても自分にとっても印象深い言葉を残したことだ。
「一生悔いが残る試合でした――」
後から振り返って、なぜあんな言葉を発したのか、世界中の子供たちも見ている中で、柔道家としてふさわしい言葉だったのかと考えたこともある。ただ、何度考えてもやはりあれは偽らざる本音であり、あの日、最も鮮明に覚えている感情だった。
そして自分に突き立てたナイフは、その後もずっと心に刺さったままになった。
自分で自分の可能性を潰してしまった。
ようやくあの白い靄の中を覗いてみようと思えたのは、半年が過ぎた頃だった。
《自分としてはやるべきことをやって臨んだのに、結果として何が足りなかったのか、それを振り返る作業です。そうしないと、次には進めないと思ったので》
福見は書き続けてきた柔道ノートを前に記憶をたどった。あらためて、ロンドンまでは鮮明なのだが、あの日のことは切れ切れにしか残っていないことに気づいた。
その中でドミトルが腹の底から絞り出すように叫んでいた姿は残っていた。
《オリンピックで勝つ選手には戦いの中にドラマがあります。だから本能の叫びが出るんでしょう。私は……、普段通りにということばかり考えていた気がします》
チェルノビツキに投げられる直前、彼女の父親が退席となったシーンも浮かんだ。
《後から考えれば、あの退場で彼女はひとりでやらなきゃと腹が据わったはずなんです。心の駆け引きがあったはずなのに、私は相手のことなんて見ていなくて、ただ、勝ちたいというだけでした》
そうやって断片的な記憶を繋いでいくうちに、思い至った。
《オリンピックはその日、一番強い人が勝つということです。私は世界大会に勝って、世界ランクもあって、普段通りの力が出せれば勝てると思っていましたけど、その日に一番強い人でなくてはいけなかったんです。100%じゃなく、120%を出そうとする。そうやって自分の可能性を超えてきた人が勝つんじゃないかと。私は自分を信じきれず、自分で自分の可能性を潰してしまったのかなと思うんです》