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日韓W杯の招致が決まった日。
「共催」への落胆と本大会の熱狂。
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph byKyodo News
posted2020/05/31 09:00
2002年のW杯が決まった時、誘致を喜ぶ人と共催であることにがっかりする人がいたことは記憶される価値がある歴史であろう。
2026年は3カ国での共同開催。
国際大会を招致する条件を満たしつつ、準備から開催までの予算を抑制できる共催は、低リスクで合理的な手段である。実際に’26年のW杯はカナダ、メキシコ、アメリカの3カ国共同開催となり、’30年のW杯にも南米の数カ国が共催に意欲を見せている。
2030年のW杯開催国は、2024年に決定する。ヨーロッパ、南米、アフリカの複数国から共催の意思が表明されており、アジアからは中国が立候補すると見られている。
日本サッカー協会は'30年大会に立候補するのかどうかについて、明確な意思を表明していない。'22年の招致レースで敗れた経験も踏まえ、勝てるタイミングを見定めているのかもしれない。’22年のカタールから2大会後に再びAFC(アジアサッカー連盟)から開催国が選ばれるのは、難しいとも考えられる。
目指した形ではなくとも、W杯は熱狂を連れてきた。
ともあれ、夢の続きはあるはずだ。日本サッカー協会は、「2050年までにW杯を開催する」ことを宣言しているからだ。
'96年5月31日の共催決定は、どこかすっきりしない着地点だったかもしれない。日本が目ざしてきた結果とはかけ離れてしまったが、W杯は2002年に日本にやってきた。日本中がサッカー一色に染められ、熱狂に飲み込まれたおよそ1カ月の日々は、未来へのかけがえのない投資となった。
W杯とはどういう大会なのか。
勝ち上がるのはどれほど大変なのか。
勝利がもたらす興奮と感動が、どれほど大きいのか。
サッカーファンはもちろん日本中の人々がW杯の価値を肌で感じることのできたあの日々が、もう一度やってきたらどんなに素晴らしいことか――。