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J中断、レフェリーはいま何を思う?
最年長51歳村上伸次の準備と流儀。 

text by

安藤隆人

安藤隆人Takahito Ando

PROFILE

photograph byJ.LEAGUE

posted2020/05/28 11:00

J中断、レフェリーはいま何を思う?最年長51歳村上伸次の準備と流儀。<Number Web> photograph by J.LEAGUE

Jリーグで多くの試合を裁いてきた村上伸次。プロフェッショナルレフェリーのなかでも最年長の51歳となる。

高校時代は名門・帝京でプレー。

 村上氏は東京都出身。高校時代は名門・帝京高でプレーした経験を持つ。レギュラーこそつかめなかったが、森山泰行、磯貝洋光、本田泰人と錚々たるメンバーと青春を過ごした。その後、立正大学を経て、1992年に当時JFL2部の西濃運輸サッカー部(岐阜県)に入部。会社に勤務しながらCBとして西濃運輸でサッカーに打ち込むと、チームは'94年に1部に昇格を果たした。

 だが、'97年に村上の人生は一変する。

 J2誕生に伴い、当時のJFLのクラブはプロ化か、そのままJFLチームとして継続かの選択を迫られた。そこで西濃運輸が下した決断が「廃部」だった。

「この時、僕は28歳。『このまま選手を続けていても厳しい』と思ったんです。でも指導者という道はあまり考えられなかった。でも、まだ身体は動く。そこで審判の道に進むのも面白いのではないかと思ったのです」

 村上氏はそのまま西濃運輸の社員として働きながら、審判としての活動をスタートさせた。2002年12月に1級を取得すると、'03年3月29日のアビスパ福岡vs.川崎フロンターレでJ2初副審を経験。'04年3月27日の横浜FCvs.モンテディオ山形ではJ2初主審を、'05年12月3日のサンフレッチェ広島vs.清水エスパルスでJ1初主審を担当するチャンスに恵まれた。そこで、プロフェッショナルレフェリーとなって西濃運輸を退社。審判を志してから10年、'07年のことだった。

論文は選手心理を理解するために。

「プロですから、レフェリング1本で食べていくことになりましたし、周りの見る目が一気に変わりました。ジャッジに対する風当たりというか、批判も含めて周りの声は一気に厳しくなりました。でも、逆に厳しさを含めていろんな経験や思考を積み重ねることができました」

 プロとして経験を重ねる中で、レフェリーとしての立ち振る舞い、技術力の向上と共に、コミュニケーション力や表現力の必要性を感じることが多かった。

「2年ほど前に名古屋大学の言語学の教授と論文を共同作成したのですが、その中で試合中の選手の発言でレフェリーがどう思うか、またその逆についてもまとめてみたんです。そこで感じたのは『人の名前を言えない選手が多い』と言うことなんです」

 例えば試合中に、選手から「おい!」と呼ばれるのと「レフェリー!」または「村上さん!」と呼ばれるのとでは、それぞれ異なる印象を受けるだろう。名前で呼ばれたらすぐに反応できるだろうし、「おい!」と呼ばれたらカチンと来るかもしれない。

 もちろんレフェリーである以上、感情に左右されてはいけないが、そのために村上氏は事前に選手の心理を分析することが重要だと語る。

【次ページ】 印象的だった本田圭佑の振る舞い。

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