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2008年の長谷部誠に感じた言葉力。
その優しさを今、改めて実感する。
text by
島崎英純Hidezumi Shimazaki
photograph byGetty Images
posted2020/04/22 20:00
ヴォルフスブルク時代の長谷部誠。浦和を旅立ち、日本を背負って立つプレーヤーとなった頃だ。
鬼軍曹マガトに負けちゃいけない。
VfLヴォルフスブルクのクラブカラーはグリーンで、フォルクスワーゲン・アレナも当然グリーンを基調にした外観です。チームの練習グラウンドがスタジアムの真横にあり、選手たちはスタジアム内にあるクラブハウスを利用して練習に励んでいます。
長谷部が移籍した当時のVfLヴォルフスブルクは、軍隊式トレーニングで知られる通称“鬼軍曹”フェリックス・マガトが指揮を執っていました。
指揮官が課す猛烈なフィジカルトレーニングは非常に有名で、1日3部練習は当たり前。長谷部の証言によると、早朝体育館に集まって天井に吊るされた綱をよじ登っては降りるのを繰り返すらしく、「確かに体力はついたけど、この練習がサッカーの何に生かされるのか分からない」と嘆いておりました。
また、試合に負けた日の夜にグラウンドに集められ、いきなりマガト監督から「お前ら、これから走れ」とランニングを強いられたこともあるそうです。
マガト監督の恐ろしさは「どれくらいの距離を走る」とか「何分間走る」など目標点を定めないことだそうで、長谷部自身も「絶対に試合で負けちゃいけないと思った」と吐露しています。
当時チームに在籍していたエディン・ジェコ(現ローマ)やマリオ・マンジュキッチ(現アル・ドゥハイル)など、個性的な選手も悲鳴を上げながらマガト監督の“訓練”に取り組んでいた姿を想像すると、なんとも味わい深いものがあります。
サイドでプレーして広がった幅。
当時の長谷部は、主に4-1-3-2の右サイドや、右サイドバックを務めていました。2008-09シーズンは長谷部が右MF、サーシャ・リーターが右SBで、このライトラインは主に守備面で多大な貢献を果たしていたように感じます。
ただし浦和時代に主にトップ下、もしくはボランチで活躍していた彼を知る者としては、サイドエリアで起用する意味を見出すことができなかったのも事実です。とはいえ当時のブンデスリーガは現在よりも局面におけるプレー強度が一層求められていて、360度から包囲されるポジションでは、フィジカル能力の高い選手が重宝される傾向がありました。
そうした背景もあって様々なポジションをこなせるオールマイティなプレースタイルへと変化したことが、現在に至る長谷部の長い現役生活の礎になったのかもしれません。