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2008年の長谷部誠に感じた言葉力。
その優しさを今、改めて実感する。
text by
島崎英純Hidezumi Shimazaki
photograph byGetty Images
posted2020/04/22 20:00
ヴォルフスブルク時代の長谷部誠。浦和を旅立ち、日本を背負って立つプレーヤーとなった頃だ。
日本では社交的でなかった男が。
また、浦和時代は微塵も感じられなかった「キャプテンシー」は、日本代表での貴重な経験に加え、異国の地で単身戦い続けたなかで身につけた彼なりの処世術かもしれません。
日本にいた頃の彼はお世辞にも社交的ではありませんでしたが、ドイツに渡ってからは、まだ世の中にスマートフォンなる超便利なガジェットがなかったことから常に電子辞書を持ち歩き、レストランなどでは事あるごとに店員を呼び止めてドイツ語での会話を試みていました。
僕は長谷部から「ドイツ語で『すみません』は、『Entschuldigung(エントシュルディグング)』って言うんですよ」と教えられましたが、ドイツ語をまったく話せなかった当時の僕にとっては呪文みたいで、複雑怪奇なスペルにもギブアップ状態でした。
それでも長谷部は、「いや、こうやって1つずつ単語を覚えて、それが通じると気持ちいいんですよ!」と言って、意欲的に言語習得に取り組んでいたのが印象的でした。その成果はいま、試合後に堂々とドイツ語でインタビューに答える姿に投影されています。
彼の言葉が深く、優しく、温かに。
いま僕は、約12年前に長谷部が直面したのと同じような境遇に置かれています。僕のドイツ語習得スピードは鈍重で、自らの至らなさに嘆息することもあります。それでも、かつて長谷部が僕に言ってくれた「カンバセーションできることの喜び」についてはいま、改めて心底実感しています。
昨日、買い出しのためにスーパーへ行ってビールを購入しようとしたら、顔馴染みの女性店員が冗談めかした口調でこう言いました。
「あら、今日はもう店じまいよ。あなたがビールをいっぱい買うから、もうウチの店にはストックはないわよ(笑)」
ドイツ語をそこまで理解していなかった当時の僕なら、彼女の冗談を深刻に捉えて「すみませんでした」と言って退散していたかもしれません。でも、今の僕には「おお。僕って、こんなにこのお店に貢献しているんだね(笑)」と返すことができます。
そして、そんな他愛もない会話を楽しめることが嬉しいのです。
新型コロナウイルスの影響で、人と人との関係性にも変化が生まれる懸念があるなか、2008年の長谷部誠が発した言葉が、いまの僕の心に深く、優しく、温かに響いています。