マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
センバツに救済策は本当に必要か。
球児の日常は1日1日が宝物なのだ。
posted2020/03/21 11:50
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph by
Hideki Sugiyama
活動を続けている野球部を一生懸命探して、ここなら……と思って足を運んだある大学のグラウンドで、旧知の高校野球の監督さんと偶然出会って驚いた。
部活動が自粛になって、ジッとしてるわけにもいかないので、新3年生の進学先の道をつけるために、その大学の監督さんを訪ねてきたという。
普通なら、この時期にグラウンドを離れることなんて、絶対にないんですけどね。
普通なら……というところが染みた。
普通なら、この春先は選手を鍛える絶好のチャンスですから。
普通なら、野球の現場などそこらじゅうに転がっているこの時期。それが今年は、一生懸命探しても、なかなか見つからない。
普通なら、19日から「センバツ」が始まっていたのだ。
あたりまえ過ぎてすっかり忘れていた「普通」のありがたみが、この時期、あらためて染みる。
何をするのが“救済”なのか。
「救済策って言ってますけど、ウチみたいにセンバツ関係ない学校にとっては、春の県大会がセンバツみたいなもんですよ。それがなくなるかもしれない。僕らも“救済”してもらえるんですかね」
ちょっとゆがんだ顔で笑った表情が、病んで見えた。そんな、言ってもしょうがないようなことを言う人じゃなかった。
センバツが中止になって、出場できなかった選手たちに、何か救済の手を。公式にも、そんな発言があってしばらく経つ。
帰り道、“救済策”について、つらつら考えた。彼らにとって、何をしてあげるのが「救済」なのか?
頭で考えても、なかなか浮かばない。
ならば……と、自分が「球児」だったらと考えてみた。