オリンピック4位という人生BACK NUMBER
<オリンピック4位という人生(2)>
メキシコ五輪「室伏が追った鉄人」
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byPHOTO KISHIMOTO
posted2020/01/19 11:40
3大会目の五輪出場で、選手団の団長も務めたハンマー投げの菅原武男。
魅せられたハンマーの可能性。
菅原がハンマーに出逢ったのは高校2年。とくに得意な種目もなくサボりがちだった陸上部員に監督が投げてみろと言った。
「僕には砲丸はとても投げられない。やりも投げられない。でもハンマーだけは考えようによっては誰でも投げられるんです。ワイヤーがついているから。その長さを利用することによってあんな重いものを軽く感じることができるんです」
不思議だった。7.26kgの鉄球は特大のスイカよりまだ重い。ただ、そこに1.2mのワイヤーがついただけで力はなくとも50m以上の彼方へ飛ばすことができる。
ハンマーに秘められた可能性が、自分の可能性のように思えた。
第二次世界大戦勃発の前年、青森と岩手の県境・秋田県鹿角市の農家に8人兄弟の末っ子として生まれた。高校を出て百姓をするか、どこでも働ければそれでいいと思っていた。遠くの未来を想像することもなかった青年の道がハンマーを手にしてから急速に開けていく。
競技を始めて4カ月でインターハイ4位に。その姿が名門・日大の指導者の目に留まり、進学が決まった。1回転だったターンが2回転、3回転になっていく。
そして1960年、大学4年でローマ五輪に出場。だが、結果は予選落ちだった。
「体の大きさがまったく違う。自分が他の選手と同じ3回転でやっていては通用しないということを世界にいって思い知らされました。当時、4回転を成功した人はいませんでしたが、やるしかなかった」
もっと遠くへ。
日の出とともに投げて、拾って、また投げる。最初はどうしても3回転で止まった。4回転できても凄まじい遠心力にバランスを保てない。その手はいつも血が凝固して黒ずんでいた。「1cmでも長くワイヤーを使えば飛距離が4m、5mは違う」と、他の選手が指の第二関節にワイヤーをかけるところを第一関節にかけていた。その負荷によって指が裂け、出血していたのだ。