#990
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「世界でただ一人の4回転スローワー」ハンマー投げ・菅原武男と“物理の魔法”…室伏広治も「真似できませんでした」《連載「オリンピック4位という人生」1968年メキシコ》
2024/08/07
標高約2300mのメキシコシティーで迎えたハンマー投げ決勝。3位の記録に並び、メダル目前だった最終第6投目、あくまでも自分の理想を追った男がいた―。(初出:Number990号 1968メキシコ「円に理想を追い求めて」オリンピック4位という人生)
これまでと同じように、同じだけの力で投げればよかった。メダルを獲るにはそれでいいはずだった。
1968年10月17日、メキシコ・オリンピック、男子ハンマー投げ決勝。
菅原武男は5投目で69m78を投げ、ハンガリーの選手と同記録で3位に並んでいた。最終6投目、あとは相手のセカンド記録(69m38)を越えさえすれば、日本の同競技史上初のメダル獲得だった。
4投目、5投目と続けて69m台を投げていた菅原にしてみれば、手に残っている感触をそのまま再現すれば、その可能性は高かったはずだ。だが、菅原が望んだのはもっと遠くの形のないものだった。
「僕は記録を出したかった。世界記録を出すのが夢でしたから。野心があったからかな。いつもよりスピードが出て、フィニッシュでそれを支えきれなかった」
標高約2300mの高地、エスタディオ・オリンピコの空にありったけの力で放った鉄球は願ったところよりかなり手前に落ちた。61m40。メダルを手にした者と、できなかった者の差はセカンド記録のわずか32cm。その残酷を嘆いた者は多かった。
ただ、当の本人の胸にはまったく異なる思いが浮かんでいた。
「オリンピックの後にもっと試合があればいいのになあと。そうすれば、もっともっと飛ばせる気がしていたんです―」
タケオ・スガワラはどの国の、どの競技場にいってもカメラを構えた他国の関係者に囲まれた。3回転が主流の当時、世界でただ一人の4回転スローワーだったからだ。
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photograph by Keiji Ishikawa/PHOTO KISHIMOTO