才色健美な挑戦者たちBACK NUMBER
挫折の多かったサッカー人生から
戸田和幸が学んできたもの。
posted2019/12/11 11:30
text by
林田順子Junko Hayashida
photograph by
Yuki Suenaga
なぜプロになれたかと聞かれたら、小さい頃からサッカー以外にやりたいことがなかったから、と答えるでしょうね。振り返ってみてもプロになれるなんて誰にも思われていなかったし、僕自身思えませんでしたから。
中学1年の時は1年間Bチーム。高校でU-17には選ばれましたけど、入学して2年間は試合に出たことがありませんでした。普通、プロになる選手って、入学前から試合に出ていたりするんですよ。それが僕はU-17で世界大会にも出ているのに、高校に戻ったらベンチにも入れないやつという辛い立場でした。毎日鏡を見ては、なんて暗い顔しているんだって思っていたのを覚えています。本当はどこかで諦めなきゃいけないポイントが来ると思うのですが、周りが進路を決めていく高校2年の秋の段階でも、まだプロになることを諦めることができなかった。一方でプロに行けると信じてもいなくて。やりたいことが1個しかないのに、それがうまくいかないんですから、毎日の生活が不安だらけでした。
それが高校3年生になると最高学年ということもあって、試合に出るチャンスが増えてきたんですね。そうしたら今までできなかったことが不思議と全部できるようになってきて、そこから状況が変わっていきました。
高校でガラッと変わったプレースタイル。
結局、僕は物事を覚えて、実行できるようになるまで、多分人よりもちょっと時間がかかる人間なんだと思います。周りはうまいやつばかりで、そこに追いつけ、追い越せで一生懸命努力して、何年か経って、やっとできるようになるんでしょうね。
高校で僕はプレースタイルがガラッと変わりました。中学まではガンガン走ってドリブルするというサイドバックだったのですが、判断してプレーするということを徹底して植え付けられたおかげで、論理性が身につきました。当時言われたのは、プロは教えてもらう場所じゃなくて、良い選手をピックアップして、組み合わせて使うだけだと。そこで結果が出ればOKだし、出なければ他の人を持ってくるというだけ。そこに合致する人材にならなきゃダメだぞと。
プロ入りした時は179cmで70kgぐらいしかありませんでした。錚々たるメンバーがいる中で、体の大きさ、強さ、速さ、選手としての武器、全てが足りなかった。それまではバランスが整っていて、満遍なくできるというのが強みだったのですが、僕の場合はその能力値のサークルが小さかったんですね。このサークルを膨らませていかないとスタメンは取れないと、入ってすぐに悟りました。自分の武器となるものを磨いていく中で、お前の競り方は間違っていると指導者に言われたこともあります。でもそれって身長が185cmの選手だったらいいかもしれないけれど、僕の体でやったところで競り勝てないようなものだったりしたんです。