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ルヴァン杯初優勝に貢献した小林悠の
試練と共に歩んだサッカー人生。 

text by

林田順子

林田順子Junko Hayashida

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photograph byYuki Suenaga

posted2019/11/06 11:00

ルヴァン杯初優勝に貢献した小林悠の試練と共に歩んだサッカー人生。<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

「なんで俺が右なんだよ」と思った日々。

 若い頃は海外に行ってみたいという気持ちもありました。僕は自分で打開して点を取るタイプではありません。フロンターレなら、動き出しとか僕の良いところを分かってくれているので、周りにアシストしてもらって、最後に決められるパターンが多い。だけど海外に行ったら、このスタイルは通用しない。最初のうちは自分からアピールしないとボールも回ってこないだろうし、自分でなんとかしなきゃいけない。そういうプレッシャーが、選手の幅を広げるんじゃないかと思っているんですよね。ただ、挑戦するなら若い時の方が絶対良い。僕は、若い頃は怪我が多くて、日本でも安定して1年出場できたことがなかったので、日本でもちゃんとやれていないのに、コンタクトプレーが激しくなる環境でやれるのかというのが海外挑戦をためらったことのひとつです。

 2012年のシーズン途中に風間(八宏)さんが、監督に就任したことも僕にとっては大きな試練となりました。

 僕は高校まではMFでしたが、大学からはずっとFWしかやってこなかったんです。ところが、風間さんが監督になってから、ずっと右サイドをやらされて、しかもこれが全然うまく行かなかったんですよ。

 毎日のように「なんで俺が右なんだよ」と愚痴も言っていましたし、正直、こんな状況なら移籍したいと考えていました。

風間さんには感謝しかありません。

 だけど、結局移籍は叶わず、フロンターレに残留することが決まった。そこから、オフの1カ月、自分のなかで気持ちをしっかり整理することにしたんです。フロンターレでまた1年風間さんとやるとなると、右で使われることになるのはわかっている。その状況の中で、どう生き残るかを考えなければ、自分はクビになるだろうという危機感を感じました。そこで、ずっとつけているサッカーノートに、“次のシーズンは右で出ても絶対に言い訳をするな、文句は言わず、右サイドでどうやって生き残っていくかを考えろ”って書いたんです。

 結果、人のせいにせず、言い訳をやめてからは、一気に活躍できるようになりました。当時は風間さんのことが大嫌いだったのですが(笑)、右に置いてくれたことで選手としての引き出しがすごく増えて、今では僕を一番成長させてくれた人として、感謝しかありません。

 サッカーノートは小学生の頃からつけているのですが、書くのは戦術とかではなくて、気持ちのこと。例えば試合の展開的に負けそうになったりすれば、やっぱり不安になることはあります。そのときにもう一回自分を奮い立たせるために、僕は試合中に「こういう試合では誰が決めるんだ」とか、「こういう試合では誰が決めて、チームを勝たせてきたんだ」とかをずっとぶつぶつ言っているんです(笑)。そうやって自分に期待をして、プレッシャーをかけて、追い込むことでゴールを決めてきた。だから大事な試合の前日は、そういうことをノートに書いたりします。

憲剛さん達とのいい感じの距離感。

 自信ってすごく大事だと思うんです。特にFWは自信がないと、チャンスの場面で味方が見えたときにパスを出してしまったり、弱気なプレーが多くなってしまう。そういうとき、試合が終わって映像を見返すと、なんでここでパスを出したんだろうって後悔するんです。逆にシュートを打って入れば、やっぱり自分はFWなんだと自信になる。そういう経験を繰り返すことによって、この場面ではシュートを打てばいいとか判断できるようになる。自分のゴールで勝たせてきたんだと思えるプレーの積み重ねが、今すごく活きていると思っています。

 僕はキャプテンではありますが、うちのチームは上下関係がいい意味であまりなくて、本当にみんな仲が良いんです。(中村)憲剛さんが素晴らしい人で、それを見て自分も育ってきたということもあるし、いい感じの距離感を保っていると思います。

【次ページ】 若い時は怒られるギリギリを(笑)。

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