才色健美な挑戦者たちBACK NUMBER
ルヴァン杯初優勝に貢献した小林悠の
試練と共に歩んだサッカー人生。
text by
林田順子Junko Hayashida
photograph byYuki Suenaga
posted2019/11/06 11:00
若い時は怒られるギリギリを(笑)。
昔の高校サッカーなら厳しい上下関係もあったと思うんです。でも今はプロとしてみんなプライドがある。逆にプライドがないと絶対に残っていけない世界だし、自分をしっかり持っている選手じゃないとすぐに潰れてしまう。最近はあまりいないですけど、若い選手が先輩に文句を言ったり、ちょっと強い一面を見せると、こいつは強い気持ちがあるんだなと僕は思いますね。僕も若い時は怒られるギリギリを攻めていたし(笑)、それで関係がすごく深まった経験があります。
逆に僕たち上の世代は、若い子のいいところをまず見つけてあげて、それを理解してあげること。その上で、アドバイスは上から言うのではなくて、同じ目線に立って言ってあげることが大事だと思っています。若いからと言って、上から圧で押し付けるというのは良くなくて、しっかりと若い子の考えていることを理解して、寄り添うように心がけています。そうすることで彼らは自分のことを見てくれている人がいる、自分のことを理解してくれていると思ってくれるでしょうし、そういう関係からスタートすれば自然とお互いに良い関係が作れるのではないでしょうか。
格好いいパパであり、夫でありたい。
あとは気持ちをしっかりと言葉に出して伝えること。基本的なことですが、挨拶やありがとう、ごめんなさいという当たり前のことをどれだけちゃんとやれるかというのは人間関係を作る上で大事だし、これは自分の子供たちにもきちんとやるように言っています。
これはサッカーだけでなく、プライベートでもそうで、僕は妻に感謝の気持ちなどをきちんと言葉で伝えるようにしています。言わないで思っているだけでは伝わらないし、実際に妻には心から感謝しています。僕は本当に何もできない人間なので、妻や家族がいなければ、怪我や試練も乗り越えることはできなかったでしょう。
僕は子供にとっても妻にとっても、できるだけ格好いいパパであり、夫でありたい。自分の好きなことを本気でやっている姿というのは、サッカーに限らず格好いいと思うんです。サッカー選手は怪我も、ストレスやプレッシャーもありますけど、その中で歯を食いしばって、泥臭く頑張っているところが男として格好いいところだと思うので、あと何年現役を続けられるかわからないですが、僕がプレーしている姿が子供たちの記憶に残るまでは、試練があってもやり続けたいと思っています。
小林 悠Yu Kobayashi
1987年9月23日、東京都生まれ。兄の影響で幼少期からサッカーを始め、麻布大学附属渕野辺(現・麻布大学附属)高校では2年連続で全国高校サッカー選手権に出場。拓殖大学に進学後FWに転向し頭角を現す。'10年シーズンから川崎フロンターレに加入し、'17年にクラブ初のリーグ優勝に貢献するとともに得点王、ベスト11、MVPと個人三冠を獲得。今年7月にはJ1通算100ゴールを達成した。日本代表として国際Aマッチ14試合出場、2得点。
新しいナビゲーターに俳優の田辺誠一さんを迎え、番組デザインもリニューアル。アスリートの「美学」を10の質問で紐解き、そこから浮かび上がる“人生のヒント”と皆さんの「あした」をつなぎます。スポーツ総合誌「Number」も企画協力。
第80回:小林悠(サッカー)
11月8日(金) 22:00~22:24
川崎フロンターレのキャプテン・小林悠選手はJリーグ屈指のストライカー。しかし大学時代は度重なるケガにも悩まされるなど、何度もサッカーを諦めかけたと言います。支えてくれたのは、家族。「家族がいなかったら、サッカー選手ではいられなかった」。そう語る小林選手と母、夫人、子供たちが紡ぐ感謝と感動の物語を紐解きます。
第81回:大橋悠依(水泳)
11月15日(金) 22:00~22:24
日本女子競泳界を牽引する大橋悠依選手は今年7月の世界水泳200m個人メドレーにおいてまさかの泳法違反で失格。失意のどん底から5日後、400m個人メドレーで銅メダルを獲得しました。トップアスリートならではの気持ちの立て直し方やON/OFFの切り替え方など、スペインでのオフショットも交え、10の質問で彼女の美学に迫ります。