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<エールの力2019 特別編>
木村沙織「沸き上がる大声援と一緒に戦っていた」
posted2019/08/28 11:00
text by
熊崎敬Takashi Kumazaki
photograph by
AFLO
2017年3月に現役を退いた木村沙織には、声に救われた忘れられない記憶がある。
表彰台に立ったロンドンの栄光から3年後、コートで奔放に躍動する全日本のエースは精彩を失っていた。なぜだろう。いままでのようにバレーボールに夢中になれない……。
そんなあるとき、試合会場に来た前主将の竹下佳江に呼び止められた。
「沙織、あなたバレー楽しめてる?」
心に突き刺さる言葉だった。長年のチームメイトは、主将の重責に縛られ、本来の姿を見失った後輩の変調を見抜いていたのだ。
木村が噛みしめるように振り返る。
「ロンドン後に主将になりましたが、実は最初は断り続けていました。だって主将なんて一度もやったことないんですから。それでチームのことばかりに頭が向き、純粋に相手との勝負を楽しめなくなっていたんですね。そのことを竹下さんに気づかされて……」
木村は原点に立ち返った。
「私、もっとバレーを楽しんじゃおう!」
ひとりで背負い込むのはやめて、素直にベテランやスタッフに頼ろうと思った。個人練習をしたいと思ったら仲間にひと声かけて、一心不乱にアタックを打ち続けた。やがてまた、バレーが楽しい日々が戻ってきた。
追い詰められた宮下遥に伝えたこと。
竹下の言葉に救われた木村が、今度は声で仲間の背中を後押しする。宮下遥。リオへの切符を懸けた世界最終予選、若きセッターは追いつめられていた。
「この予選を落としたら、リオに行けない。セッターはチームの要なので、遥は大きな不安を感じていたんです。遙にはのびのびプレーしてほしい、私はそう思いました」
気づいたら、迷わず動く。木村は早朝、宮下が続ける個人練習に顔を出した。
「一緒に、いいかな?」
以来、ふたりの早朝練習が恒例になった。
後輩がトスを上げ、主将が打つ。仲間が眠りについているとき、ふたりは数えきれないほどボールをつないだ。そして大会が始まるとき、木村はこう伝えるのを忘れなかった。
「遙、困ったときは全部私に上げていいから」
全日本はリオへの道を切り拓き、宮下はベストセッターに選ばれた。
大声援に勇気づけられて打ち切れる。
リオから8カ月後、木村は惜しまれながらコートを去った。引退から2年経っても、バレーをやりたいという気持ちは不思議と沸いてこない。だが、会場やテレビでバレーを見る時間は大好きだ。ファンとしてバレーを見るようになって、わかったことがある。
「現役時代も感じていましたが、ファンの大歓声に本当に励まされていたんだなって思います。弱気になってフェイントに逃げたくなっても、湧き上がる大声援に勇気づけられて打ち切れるときがある。みんなが一緒に戦ってくれるような気になるんです」
ボールとともに、心と声をつなぐのが木村沙織のバレーボール。これからはファンと一緒に声を枯らして日本のバレーを後押しする。
(Number940号より転載)
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