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高校の野球部員が減少する一因?
「選手が主役」を取り戻すために。 

text by

安倍昌彦

安倍昌彦Masahiko Abe

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photograph byHideki Sugiyama

posted2019/07/11 07:00

高校の野球部員が減少する一因?「選手が主役」を取り戻すために。<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

あだち充は「今の日本には高校野球以上の夏のイベントはねえぜ」と作品の中で言わせている。その巨大さと向き合う必要があるのだ。

主役のはずの選手が、いつの間にか……。

 少し前に観た『泣くな赤鬼』という映画は、高校球児の頃に鬼のような監督さんから鍛え抜かれたある男が、長じて球児の頃を振り返る場面が泣かせた。

「結局僕たちは、先生の夢をかなえるための道具でしかなかったんですね……」

 野球の現場の大人たちが聞いたら、全身の血液が一気にひいていくような気になるセリフかもしれない。  

 間違いなく選手たちが主役のはずのアマチュア野球が、いつの間にか、大人の都合で支配される空間になってはいないか。

 競技人口が増えて注目度が増せば、それにつれて宣伝効果や付加価値も大きくなって、そこに新たな「利権」や「利害関係」が生じてくるのは世の常、世の流れであろう。そしてその中で、いちばんの主人公のはずなのに、実はいちばん「力」の弱い選手という存在が幼い心を痛め、涙を流している事実があるとしたら……。

 野球を志す少年たちが減っている理由を、少子化とか、野球をやる場所がないとか、用具が高いとか、そうした社会現象ばかりを引き合いに出して、さあどうする大変だ、大変だ、とオロオロしても仕方がない。

 子供たちの野球の世界のそうした“おかしな部分”に彼ら自身が勘づいて、遠ざかろうとしているとしたら……。

この季節だからこそ知ってほしい。

 そういう世界はやがて、だれでも参加できる開かれた広場としての開放性を失い、ごくごく限られた人たちだけの特別な場所となって、スポーツ競技としての勢いも輝きも、そして最も大事な「大衆性」までなくしていく。

 そんなことにならないことを、願うばかりである。

 夏7月。各地の予選から甲子園大会。

 時まさに「高校野球」の季節と盛り上がっているさなかに、水を差すような話でひんしゅくをかってしまうかもしれないことを承知の上でこの一文を綴ったのは、こういう季節だからこそ、すぐそこにある「事実」としてお伝えしたいと考えたからである。

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