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「自分のバスケの原点はお父さん」
父が明かす、馬場雄大が育つまで。
text by
青木崇Takashi Aoki
photograph byItaru Chiba
posted2018/12/14 07:00
30日のカタール戦で13得点、3日のカザフスタン戦でも11得点をあげ地元・富山のファンを沸かせた馬場。
高校時代、父と一緒に全国大会へ。
将来を嘱望されるようになっていた息子については、中学2年の夏まで富山県外の強豪高校に進学するものだと思っていた。
ところが、夏のある日に富山第一高の理事長とすれ違った時“馬場くんの子はすごいらしいね”と声をかけられる。敏春さんは息子を直接指導するのでなく、チームの外からサポートする形こそベストと考えていたものの、その一言で心境が変化。
4年計画で選手を集めてチームを強化することを提案し、息子を含めた将来性のある選手たちを積極的に富山第一に入学させて全国大会出場を目指したのである。
馬場が2年生と3年生の時、「子どもたちに連れていってもらった」と謙遜しながらも、敏春さんは富山第一高を全国大会へと導いた。
2年生のウインターカップで能代工業と対戦した時、馬場は前半の途中で足首を捻挫するアクシデントに直面。しかし、テーピングを巻き直すとすぐに試合に戻り、痛みをこらえて最後までプレーした。そこには、1学年上の渡邊雄太がU18アジア選手権で足首を捻挫しながらもタフに戦い続けたのを間近で見てきたこと、そして、小さいころの経験も大きく影響していたのではと敏春さんは言う。
「彼のいいところは仲間が好きなこと。友達がシュートを入れたら一緒に喜んでやれと言ったら、抱きついて喜んでいるんですよね。それをその友達の親御さんが見て感動したという時もありました。バスケットをやりたいのではなく、仲間と遊びたい。その遊びがバスケットだったのです」
押さえつけるのではなく、伸びやかに。
バスケットボールに限らず、どのスポーツでも父親が指導者で子どもが選手という形のチームが生まれた場合、親が子どもに対して他の選手より厳しくする傾向がしばしば見られる。しかし、馬場家の場合は違う。敏春さんは馬場が小さいときから助言をしても、最終的に責任を自分で取れという姿勢を崩さなかった。
「子どもに対しては伸びやかに、上から押さえつけるのではなく、成長の過程の中で何かに自分で気付いてくれる、だれかの助言から学んでくれるといったところを期待していましたね。父として“お前はこうしなきゃダメだ、ああしろ、こうしろ”と言ったら、彼は多分私の目の前で萎縮してしまいますから……」