才色健美な挑戦者たちBACK NUMBER
プロになって4年の鈴木明子が語る。
「今もフィギュアスケートに片思い中です」
posted2018/12/04 10:30
text by
林田順子Junko Hayashida
photograph by
Kiichi Matsumoto
リンクでの華々しい姿の陰で摂食障害に悩むなど、苦難も多かった彼女の競技人生。それでも、今もプロとしてリンクに立ち続ける鈴木は「ずっとスケートが好きなんです」と語る。なぜそこまでフィギュアスケートを愛することができるのか。
フィギュアスケートを始めたのは6歳のとき。自分が一生懸命打ち込めるものを見つけられるようにと、両親が色々な習い事をさせてくれたなかのひとつだったんです。今でこそ、こんなに注目されるスポーツになりましたが、私が始めた頃は全く人気がなくて。全日本などの大きな大会でもあまりお客さんがいなかったので、チケットだってほぼタダみたいなもの。だからフィギュアスケートでプロになれるとか、仕事になるなんて考えてもいませんでした。
フィギュアスケートって「エリジブル」というプロとアマチュアの間みたいな立ち位置なんです。グランプリシリーズなどの大きな大会では賞金も出ますが、そこに出れるのは本当にひと握り。あとはみんなお金を払って試合にエントリーするという、習いごとの延長なのです。それをずっとやっていても、将来職業になるとは思えない時代でした。
でも荒川静香さんがトリノオリンピックで金メダルを取って、日本人でも海外の選手と互角に戦えるということが証明されて。強い選手がいれば、世の中の注目度も高まりますし、選手たちも自分にもできるんだって思えるようになる。陸上男子100mの10秒の壁もそうですけど、最初に壁を越えるまでは大変ですが、ひとりが突破すれば、他の選手も続いていくと思うんですよね。そうやって全体のレベルがあがったことで、ここまで皆さんに見ていただける競技になったのだと思います。
踏まれても根強く伸びよ、いつまでも。
私は現役時代、すごく完璧主義者でした。選手は無理を積み重ねた先に結果が出てくると思っていましたので、練習を休むこともすごく怖かった。完璧にできるほどの能力はないのに、求めるところがすごく高かったので、苦しくて。それが摂食障害にもつながったのだと思います。
それでもスケートを辞めなかったのはやっぱり好きだったから。続けていても結果が出なかったり、つまずくことも、スランプに陥ることもある。やった分だけできるようになるわけではないけれど、その経験は必ず自分を伸ばしてくれると信じていました。
そのことを私に教えてくれたのは、小学校3~4年生のときの担任の先生でした。子供ともまっすぐに向き合ってくれた先生で、とくに「踏まれても根強く伸びよ、いつまでも」という言葉がすごく印象に残っています。どれだけ踏まれても自らが伸びて行く可能性をずっと信じていなきゃいけないと。その先生がいなければ、何があっても諦めずにコツコツやろうとは思えなかったでしょう。
ただ、あるとき先生と柳の木の下を歩きながら話をしたことがあって。そのときに「明子はすごく頑張り屋さんだから、疲れたときにはこうやって、木の下をゆっくり歩く時間も必要なんだ」っておっしゃってくださって。先生は亡くなってしまいましたが、今でもその柳が立っている道は残っていて。近くを通るたびに、先生は今の私を見てくださっているかな、とその言葉とともに思い出しています。