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斎藤佑樹、古木克明……甲子園で
「リミッター」を外した男たち。

posted2018/07/19 11:00

 
斎藤佑樹、古木克明……甲子園で「リミッター」を外した男たち。<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

2006年の夏、斎藤佑樹は3連覇を目指す駒大苫小牧を相手に延長15回、翌日の再試合9回を1人で投げ抜いて優勝投手となった。

text by

田中大貴

田中大貴Daiki Tanaka

PROFILE

photograph by

Hideki Sugiyama

 2つの印象的な見解がある。

「極度の緊張と興奮で、舞い上がっているからこそ、自分以上の力が出る年齢なんじゃないだろうか」

「リミッターが振り切れていた。投げれば投げるほど自分の限界を超えるボールが投げられました」

 上記は2人の選手に同じ質問を投げかけた時に返って来た言葉です。

 1つ目は、今から20年前の夏の甲子園。ベスト4に進出した豊田大谷の主砲・古木克明の言葉です。

 高校通算52本塁打。松坂世代最高の左打者として注目された古木。甲子園の土を初めて踏んだのは2年生の夏。2本の本塁打を放ち、高知商の藤川球児とともに2年生ながら全日本高校選抜に選出され、たちまち高校球界の話題の中心になりました。

 2本のアーチはどちらも絶大なインパクトを残しました。逆方向のスタンドに打球を運ぶ能力に、同い年の僕は唖然としました。

「甲子園では指でボールを打っていた」

 そんな彼に、何故、あの大舞台で強烈なパフォーマンスを出すことが出来たのか、ずいぶん経ってから聞きました。

「実は緊張しすぎて、甲子園での打席は指でボールを打っていた。舞い上がり過ぎて、ボールとの距離がわからず、指の部分でファールを打っていた……」

 当時の古木克明は初めて感じる極度の緊張感の中でプレーしていたのです。では何故、本塁打を放つことが出来たのか。

「ホームランを打つ2、3球前に、急に地に足がつく感覚があった。舞い上がっていたのに、突然、気持ち悪いくらいに急に落ち着いた。その結果がホームランだった」

 なぜ、急に。なぜ、気持ち悪いくらいに落ち着いたのか?

「甲子園への思い入れが、精神的に舞い上がる状況を作り出し、その舞い上がり過ぎがプラスに働いたと僕は思っている。それが高校生という年齢だと思う」

【次ページ】 「18歳の時のあの感覚は理解できない」

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