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斎藤佑樹、古木克明……甲子園で
「リミッター」を外した男たち。 

text by

田中大貴

田中大貴Daiki Tanaka

PROFILE

photograph byHideki Sugiyama

posted2018/07/19 11:00

斎藤佑樹、古木克明……甲子園で「リミッター」を外した男たち。<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

2006年の夏、斎藤佑樹は3連覇を目指す駒大苫小牧を相手に延長15回、翌日の再試合9回を1人で投げ抜いて優勝投手となった。

「18歳の時のあの感覚は理解できない」

 非常に興味深い見解でした。成熟していない精神だからこそ、舞い上がるほどの緊張感がプラスに働き、驚くような結果を残す。

 古木克明は2年生の夏も、3年生のあの夏も、そんな不思議な感覚を感じながら甲子園でプレーしていました。

 高校球児の精神的未熟さが生む無限の可能性を、彼の言葉から感じました。

「大貴さん……それは色んな人に聞かれました。僕も18歳の時のあの感覚は理解できない。だから色んなトレーナーさんに聞きました。わかったのは、リミッターって外れるんですよね」

 2つ目は、12年前、ニューヨーク・ヤンキースで活躍を続ける田中将大と伝説的な夏を創り上げた、“ハンカチ王子”こと北海道日本ハムファイターズの斎藤佑樹の言葉です。

投げれば投げるほど上がった球威。

 2006年夏の決勝、駒大苫小牧戦は延長15回を投げきり、178球。翌日の再試合も9回完投で、118球投げ、合計296球を投げた斎藤佑樹。大会で投げた総投球数948。これは100回目を刻もうとしている甲子園大会にあって、今も残る歴代1位の記録なのです。

 現場で観ていて不思議でした。あの夏の945球目が147km。4連投で、前日に15イニングを投げて、最速の147km。追い込んで2球ファールで粘られて、最後の夏の1球となった948球目は浮き上がるような外の真っ直ぐの144km。田中将大のバットが空を切り、ゲームセット。

 甲子園で投げれば投げるほど、球威は上がり、それまで140km台前半だったストレートは最後は140km台後半をマークしていたのです。

 そして、ボールの質。早実の選手たちが口を揃えて、日に日にボールが浮き上がるような球質になっていたと教えてくれました。

【次ページ】 「18歳という身体と精神だからこそ」

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