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“14歳の金メダリスト”岩崎恭子が“母”となった今、伝えたいこと。

posted2018/07/11 16:00

 
“14歳の金メダリスト”岩崎恭子が“母”となった今、伝えたいこと。<Number Web> photograph by Miki Fukano

text by

林田順子

林田順子Junko Hayashida

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Miki Fukano

 1992年、バルセロナ五輪の競泳女子200m平泳ぎで、弱冠14歳、中学2年生の若さで金メダルを獲得した岩崎恭子。競泳史上最年少での金メダル獲得によって、世界中から注目を集めることとなった少女も、今年で40歳。7歳の女児の母となった。1996年のアトランタ五輪までの苦悩とそれを見守った両親との関係、そして我が子や次世代へと伝えたいものを語った。

 3歳上の姉の影響で水泳を始めました。姉がトップ選手になって全国大会に行く姿を見て、「お姉ちゃんができるんだから、私にできないはずがない」って。姉が持っていた市や県の大会記録を、同じ歳になったときに、「恭子」に塗り替えていくのがうれしかったです。自分の目標設定もしやすかったし、すごく恵まれた環境でした。

 ただ、両親から水泳について口を出されたりはしませんでした。しつけには厳しかったし、先生との約束があったから、宿題をしなさいとは言われましたが、それ以外に勉強をしなさいと言われたことや、水泳で怒られたことも一度もありませんでした。

 泳ぐことは楽しかったけど、子供だから行きたくないときもあって。隠れて行かなかったりしたこともありました。そうすると初めは休ませてくれるんですよね。「わ~お母さん、優しい!」とか最初は思うのですが、なんか怖くてソワソワする。で、その週末に試合があると当然、いい結果は出ないんですよ。やっぱり練習しないとダメなんだなって自分で感じて、きちんと行くようになる。でも子供だから、また同じようにさぼったりして(笑)。そうすると無言で車に乗せられて、プールに連れて行かれました。

 20歳までは親の責任というのはあると思うのですが、人として、自分自身で物事を決めたら、その責任も自分にあると思うんです。両親もそういう考えでしたし、それはきちんと娘にも伝えていきたいことです。

金メダル後、明るい両親に救われた。

 中学1年生のときに日本歴代2位の記録を出して、バルセロナ五輪に行けるかもしれない、と言われたけど、子供心にもオリンピックって、そんなに簡単なものじゃないって分かっていました。だから選考会でも、行けたらラッキーぐらいの気持ちだったし、五輪本番でも、自分では緊張していたつもりでしたが、今考えると、すごく無欲でとにかく泳ぐのが楽しかった。だから金メダルは自分でもすごくびっくりしたんですよね。でもその価値や意味が、14歳の私には全然分かっていなかった。

 帰国してからは、生活が一変して。人が多いからと、家に帰れないときもあったし、色々なことを言われたりして、だんだんストレスが溜まってきて……。家族も大変なことになっているのも分かるし、どうしたらいいのか分からなくて。イライラしていて、家の中ではさんざんわがままも言いましたし、2年ぐらいは荒れていました。でも母なんかは「しょうがないじゃない」って明るいんですよ。今考えたら、わざと明るくふるまっていたのだと思うんですけど、そういう両親の姿にはすごく救われました。

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