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<歩みをとめない者たち>
宮本恒靖の“今を生きる”原動力。 

text by

二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

PROFILE

photograph byShiro Miyake

posted2018/06/14 11:00

<歩みをとめない者たち>宮本恒靖の“今を生きる”原動力。<Number Web> photograph by Shiro Miyake

「満足してません、という姿勢を」

「監督から何を求められて、どんなタスクをこなせば試合に出られるのかはっきりさせておきたかった。監督と話をしたことは、多々ありましたよ。出場するチャンスがなければ、『何故なんですか?』と聞きにいく。主張がなかったり、黙って受け入れてしまうと『アイツは現状に満足しているんだな』と思われて、ほったらかされてしまう。満足してません、という姿勢は見せないといけない。

 試合に先発で出たいと思っても決めるのは監督。何もコミュニケーションを取らないで『監督は自分のことをどう思っているんだろう』ってモヤモヤしながら1カ月過ごすのと、コミュニケーションを取って何が足りないかがはっきり見えたなかで1カ月過ごすのでは全然違ってくる。自分の力で変えられないものに対して思い悩んでも仕方ないというのが僕の考え方です。逆に自分の力で変えられるものに対しては精いっぱい頑張る、と」

 異国と日本の常識は違う。しかしそのギャップを埋めていく難しさは、むしろ求めていたもの。自分を成長させると信じていた。

FIFAマスターに入学し、吸収を。

 移籍初年度の2006-2007年シーズン、ザルツブルクは10年ぶりにリーグ優勝を決める。不動のレギュラーとはいかなかったが、出場試合を増やしながら栄光を勝ち取った。

 次のシーズン、欧州チャンピオンズリーグ予備予選にも出場した。左サイドバックでも起用された。一つひとつステップアップしている実感を得たが、2008年1月に全治5カ月の大ケガを負ってしまう。復帰後、新監督の信頼を勝ち取れず、宮本の海外チャレンジは2年で幕を閉じる。そしてヴィッセル神戸で3シーズンを過ごし、34歳で現役を引退する。

 その後の行動も早かった。

 欧州でプレーしたことで、伝統あるクラブの成り立ちや、欧州内におけるスポーツのステイタスなどを知ることができた。引退すると、勉学に励んでスポーツ学の大学院「FIFAマスター」に入学。イギリス、イタリア、スイスの大学を回り、卒業した。

 かつて彼は高校を卒業してガンバ大阪に入団すると同時に、同志社大学経済学部に進学している。「何か新しいものを吸収したい」「知らないことにトライしたい」思いは、その頃から変わっていない。

「サッカーでも、うまくなりたいっていう気持ちはずっと変わらないんです。中学生になって大阪選抜、次に関西選抜に入っても満足しない。最初はそのグループのなかで下手でも、認められるためにうまくなろうとする。そしてうまくなったら、次のステップに行きたくなるんです」

【次ページ】 次の自分へ歩みをとめない。

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