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「選手のために」と小塚崇彦が開発、
フィギュア史を変える国産ブレード。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byTakaomi Matsubara
posted2018/04/29 17:00
小塚崇彦が説明する「KOZUKA BLADES」。スケーターのことを考えて作られたものだ。
道具がおざなりだった感は否めない。
そこには、製品への自負があった。
かねてから、小塚はこう語ってきた。
「ジャンプの高難度化など、演技は進化しているのに、ブレードの構造は昔から変わっていない。フィギュアスケートは道具の部分がおざなりだった感は否めません」
旧態依然としているからこそ、大会でもブレードが演技の支障となる場面があった。
2017-18シーズンのスケートアメリカの男子ショートプログラムでは、滑走の直前、ネイサン・チェンがブレードが欠けていることに気づき、ジャンプの跳び方などを変えるなど対応に追われた。
「選手が安心して集中できる環境を」
2012年の全日本選手権男子ショートの最終グループではこんな出来事があった。
前走者の演技が終わり、コールを待つ堀之内雄基がリンクで慣らしのジャンプをしたとき、右のブレードが割れたのである。
リンクサイドにいたコーチが瞬間接着剤とテープで応急処置を図るも、演技には耐えられないと、棄権を余儀なくされた。引退試合と決めていた舞台での、あまりにも酷なアクシデントだった。それを見守っていた次走の町田樹の表情と堀之内の肩をたたいてなぐさめた仕草が忘れがたい。
「ブレードに左右されることなく、選手が安心して、集中できる環境を整えられればと思います」(小塚)
すべては選手のために。
その一心から歴史を変えるべく誕生したブレードが、スタートを切った。