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川淵三郎が相撲界の現状に物申す。
「協会はその日暮らしをしている」
posted2017/12/15 16:00
text by
松本宣昭Yoshiaki Matsumoto
photograph by
Kiichi Matsumoto
驚異の81歳。まずその肩書きからして、規格外である。
公益財団法人日本サッカー協会最高顧問。
公益財団法人日本バスケットボール協会エグゼクティブアドバイザー。
一般社団法人日本トップリーグ連携機構会長。
それ以外にも20以上の肩書があり、サッカー界に留まらず、競技の垣根を超えて組織改革のリーダーシップを求められている。
「Number Sports Business College」第17回のゲスト講師である川淵三郎氏と池田純氏による“しがらみのない”対話は、Bリーグ発足の経緯から始まり、現在世間を騒がせている大相撲の組織改革にまで及んだ。
「なんだよ、俺の努力は一体なんなんだ!」
池田「本職のサッカーではなく、バスケットボールのBリーグを立ち上げるときの情熱は、どのへんにあったのですか?」
川淵「それは2014年に、当時82歳だった小浜元孝さんというバスケット日本代表監督だった方が突然僕を訪ねてきて、『このままいくと日本代表が10月に、国際試合出場停止になるので、なんとか2つのリーグ(NBLとbjリーグ)をひとつにしてください』と頼まれたんです。初対面だったけど、日本代表監督まで務めた方が僕を訪ねてきているのなら、なんとか力にならなきゃなってことで、動き出して。それで10月までやったけど、本当にみんな自分勝手で、選手のことなど全く考えていなかった。『プレーヤーズファースト』の考えなんて、どこに行ったのかわからないぐらいの状況で。
この間、なるべく良い方向に持っていこうと思って、表に出ず、縁の下の力持ちとして一生懸命やっていた。肩書きや権限が与えられているわけじゃなかったから、怒鳴りたいことがいっぱいあったんだけど、我慢しながら。でも結局、10月の期限が来て、11月に国際試合出場停止となって。それで本当に怒ったんだよね。『なんだよ、俺の努力は一体なんなんだ!』って。そうしたら、パトリック・バウマンというFIBA(国際バスケットボール連盟)の事務総長が、どこかで僕の話を聞いたんだろうね。『川淵さん、なんとかタスクフォースのチェアマンになってほしい』と言われた。『改革できるのは僕しかいない』と、引き受けたんだ。リーグ統合の期限までに5カ月しかなかったけど、長けりゃできるってわけでもないからね。期間が短いからこそ、トップダウンですべてやってやろうと思って。だからものすごくガバナンスの勉強をした。何が問題かってことを」