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源田壮亮から始まった西武走塁の輪。
いまや盗塁数はパで断トツの129に。
text by
市川忍Shinobu Ichikawa
photograph byKyodo News
posted2017/11/22 11:30
ルーキーながら遊撃手の定位置を確保した源田の活躍がチームに相乗効果を生んだ。
一軍と二軍の間をつなぐ、佐藤と赤田の絆。
もう1つ大きかったのは一軍と二軍との方針の徹底である。2015年から二軍で守備走塁コーチを務める赤田将吾は、一軍で走塁を指導する佐藤とともに現役時代の9年間を強いライオンズで過ごした。特に西武が日本一に輝いた2004年は両名とも100試合以上に出場し、優勝に貢献。佐藤は優れた状況判断を、赤田は俊足を武器に「走るライオンズ」の一角を担ってきた選手だ。
二軍コーチに就任した際、赤田は「一軍と二軍のコーチングの連携を図りたい」と目標を語っていた。2016年に旧知の仲である佐藤が一軍コーチに就任したこともあり、その目標が徐々に成果として表れ始めている。
「友亮さん(佐藤コーチ)とはよく電話で話をします。“一軍で今日、こういう走塁ミスがあった。二軍でも気をつけて見ていて”という話があったり、反対に僕のほうから“二軍でこういうケースがあったんですけど、一軍ではどう対処していますか?”と相談することもあります。試合で起きた走塁に関する事実を照らし合わせて、2人の間でまずは考えを統一して、選手全員に伝えています」
「打てないのは仕方ない。でも走ることはできる」
今年8月、腕の骨折から復帰した森友哉が、二軍戦に初出場した試合で全力疾走を怠った。赤田は容赦なく森を怒鳴りつけた。
「本人の調子や、相手のピッチャーとの力の差もあることだからヒットを打てないのは仕方ない。でも走ることはできる。全力で走ってアウトなら納得するけれど、そうじゃなかった。たとえ凡打でも、何かあったらセカンドをねらうつもりで走れと話しました」
全力で走る。次の塁を狙う。基本的なことではあるが、近年のライオンズでは、それが見られずに歯がゆい思いをした試合も多い。
「とにかく一軍で目指していることを二軍でも練習に常に取り入れて、上に行った選手がすぐに一軍の戦略に対応できるようにしています。そのためにも今、一軍ではどこを重視しているのか、どういうプレーが求められているのかを把握しておく必要がありますから」(赤田)