濃度・オブ・ザ・リングBACK NUMBER
“普通の試合”で特大インパクト!
K-1・武尊が示したスターの証。
posted2017/06/22 11:00
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph by
Takao Masaki
新生K-1の宮田充プロデューサーは「長時間の興行は好きじゃない」と公言している。
観客が集中できる時間には限界があるし「終了時刻が早ければ、帰りに仲間とご飯を食べたり、一杯やりながら試合を振り返ってもらえる。そういう時間が大事」と考えているのだ。また系列イベントKrushの名古屋大会は、東京のファンが新幹線で日帰りできる時間設定にしている。
さいたまスーパーアリーナ・コミュニティアリーナに初進出した6月18日のK-1は、だから限界まで試合を短時間に詰め込んだ大会だった。
本戦前のプレリミナリーファイトが4試合、本戦は14試合と過去最大級、スーパー・ウェルター級王座決定トーナメントに加えライト級、スーパー・ライト級のタイトルマッチも。ノンタイトル戦ながらフェザー級王者にして新生K-1最大のスターである武尊も出場している。
本戦だけで5時間超えとさすがに長かったが、念には念、これでもかという豪華ラインナップで、チケットは増席した上でなおソールドアウトになった。観衆は主催者発表で8000人(超満員札止め)と、これまで開催してきた代々木第二体育館から倍増している。
内容面でも、この大会は成功と言えるものだった。普通、こういう“詰め込み型”の興行だとファンに残す印象が散漫になりそうなものなのだが、そうならなかったのは図抜けたインパクトを残す“主役”がいたからだ。
初参戦で戴冠を果たしたチンギスの衝撃。
その1人が、トーナメントを制して第2代スーパー・ウェルター級王者となったチンギス・アラゾフだ。
世界の半分を征服したモンゴル帝国の初代皇帝の名をリングネームにするベラルーシ人は、ファイト自体もスケールが大きかった。
構えをスイッチしながら繰り出す攻撃はパンチも蹴りも右も左も強力にしてタイミング抜群。3試合中2KO、合計6回のダウンを5つの技で奪っていることからも偏りのないテクニックと破壊力が分かる。
1993年、K-1創設の年に生まれた24歳は「(中継の解説を務めた)魔裟斗と握手できて嬉しかった」と語っていたが、いずれ魔裟斗やアーネスト・ホースト、ピーター・アーツと並び称されるレジェンドになるかもしれない。