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長野から、なでしこのエースへ――。
進化し続けるストライカー・横山久美。
text by
松原渓Kei Matsubara
photograph byKei Matsubara
posted2017/03/25 11:30
地方都市・長野から全国の女子サッカーの人気を支え続けているパルセイロと横山。その派手なサッカーは本田監督の戦略に裏打ちされている。
派手な試合が多い長野は、リーグ最多の観客動員数に。
「自分で判断して、決断して、自分で責任を取れるところがサッカーの一番面白いところだと思うんです」
そう話す本田監督は、選手の自主性を促し、1部昇格後も選手自身が自分たちのサッカーを作り上げていくことを求めた。一貫して伝えてきたのは、
「ボールを持ったらまず、前を見る」
「ボールを失うことを恐れない」
という、シンプルなことだけだ。
その結果、スコアが「4-3」や「5-4」といった派手な試合が多くなり、勝っても負けても、会場は大いに盛り上がった。
そして、ドラマチックなゴールを決める横山たちのプレーをひと目見ようと、スタジアムに足を運ぶファンが増えた。
長野Lは昨シーズン、1部昇格1年目で3位という成績を残し、ホームゲーム9試合で観客動員数は3万2826人。1試合平均で3647人というリーグ最多の動員数を記録した。
「いま思えば15年前の宮間と似ていましたね」
横山に初めて出会った時の印象について、本田監督はこのように話す。
「最初に会ったのは、2011年です。印象に残っているのは、サッカー選手としての能力というより、私によくひっついて来たこと。当時の私は『怖い』と噂されていましたが、当たり前のようにタメ口で、私の部屋に入って来てベッドで飛び跳ねている。なんだこいつは、と(笑)。とにかく、物怖じしない子でした。その人懐っこさは、いま思えば15年前の宮間と似ていましたね」
厳しいマークにさらされながら、ケガが少ないことも、横山が一流の素質を持っている証だ。その点も宮間と重なる部分だと、本田監督は感じている。
横山がリーグでのキャリアをスタートさせたのは、奇しくも、その宮間がいた岡山湯郷ベルだった。
湯郷の創設に携わったのが本田監督であることにも、不思議な縁を感じる。