オフサイド・トリップBACK NUMBER
自分たちのサッカー後遺症の先へ。
代表の理想を再び語る絶対条件。
posted2016/09/25 11:00
text by
田邊雅之Masayuki Tanabe
photograph by
Takuya Sugiyama
「自分たちのサッカー」
このフレーズを目にすると、音楽やファッションと同じように、サッカーを論じるボキャブラリーにも流行り廃りがあることがよくわかる。ほんの2、3年前まではそれこそ毎日のように耳にしていたのに、今ではファンの間でも、口にするのが憚られるような雰囲気さえある。
だが、これほどもったいないことはない。日本代表の歴史とは、自分たちのサッカーを巡る議論の歴史でもあるからだ。
「フラット3(トルシエ)」、「黄金世代&4バックか3バックか(ジーコ)」、「日本サッカーの日本化(オシム)」、「結果重視のサッカーか攻撃的なサッカーか」(岡田武史)、「自分たちのサッカー(ザッケローニ)」、そして「縦方向に速いサッカーとデュエル(ハリルホジッチ)」。
もちろん岡田監督時代の「結果重視のサッカーか攻撃的なサッカーか」という議論のように、監督自身の意図を離れて争点が一人歩きしたケースもなくはない。しかし、自分たちはいかなるサッカーを目指すべきか、何を武器に世界と戦うのかという問題意識は、代表を成長させる原動力になる。
この原則はブラジルであれドイツであれ、なんら変わることはない。
「自分たちのサッカー」がタブーになった理由。
では、なぜ今のような状況が生まれてしまったのか。主な理由は3つある。
1つ目は2014年のショックだ。
W杯ブラジル大会が開幕する前は、「優勝を目指す」、「自分たちのサッカーを貫けば、自ずと結果はついてくるはずだ」と発言する選手が珍しくなかった。
ところが結果はご承知の通り。ザッケローニ監督率いるチームは、1分け2敗という惨憺たる成績でグループリーグから姿を消している。この瞬間に「自分たちのサッカー」というお題目は、効力を失ってしまった。