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絶対王者・国枝慎吾、苦悩の2016年。
復活を確信させる、凄み溢れる逸話。 

text by

松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byAFLO

posted2016/07/24 07:00

絶対王者・国枝慎吾、苦悩の2016年。復活を確信させる、凄み溢れる逸話。<Number Web> photograph by AFLO

ながらく君臨した世界ランク1位に、国枝は本気で返り咲く気でいる。パラリンピックはその狼煙となるだろうか。

「この命ある限り、思いっきり使ってやろう」

 ただ、国枝が逆境にあって、それを一度ならず跳ね返してきたのも事実だ。

 思えば、2012年のロンドンパラリンピックの年も、2月に右肘の手術を行い、そこから再起しての金メダルであった。小学校4年生のときに脊髄腫瘍が見つかり、その影響で両足が不自由になったことから車いすでの生活を余儀なくされた。それを乗り越え、やがて世界チャンピオンになった過程そのものが、国枝の強さを証明している。

 足跡に浮かぶ強さとは、何か。振り返ったとき、いつだったか、目にしたテレビでの言葉を思い出す。

 どうしてそんなに前向きなのか、と尋ねられたとき、国枝は答えた。

「この命ある限り、思いっきり使ってやろうと思った」

 実は国枝の病気は、命を失っても不思議ではないものだった。のちに母からそれを知らされたとき、全力を尽くして生きようと思ったと説明した。凄みさえ感じさせる思いを、プレーで体現してきたのが国枝だった。

ロンドンでは、再起というよりも進化を見せた。

 彼にふれた若手選手が、国枝の練習への打ち込み方、勝負へのこだわり、あらゆることに圧倒されると話していたことがある。1分すら無駄にしないでテニスに向かっていると言う。

 短期間ならともかく、長期間にわたり、テニスに全身全霊を傾けてきた。その土台にあるのは、周囲の目にも映る強靭な精神力にほかならない。

 ロンドンのとき、優勝したあと涙を流すほど苦しい時期を乗り越え、金メダルを手にすることができたのも、それがあればこそだ。

 しかもロンドンでは、得意としてきたバックハンドに加え、フォアハンドでの向上を見せての優勝だった。乗り越えるばかりか、進化していたのである。

 7月現在の世界ランクは7位。

「金メダルの確率をあげるために必要だと思いました」

 手術に踏み切った理由にもあるとおり、目指しているのはパラリンピック3連覇のみ。再び訪れた試練と向き合い、大舞台でどのようなプレーを見せるか。

 王者の戦いが注目される。

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