奥寺康彦の名言
自分がドイツで移籍し、ある程度結果を収めることができたとすれば、それは駒としての精神、を持ったからだった。
奥寺康彦(サッカー)
日本人初のプロサッカー選手として、旧西ドイツのケルンに入団。その後、ヘルタ・ベルリン、ブレーメンと渡り歩いた奥寺は、「駒」の役割に徹したことが成功の理由と自己分析する。「フルバックからフォワードまでこなすことができた。スーパーなプレーなんて一切いらない」。どんな役割でもこなせるユーティリティプレイヤーに生きる道を見出したのだ。
Number478号(1999/08/26)
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