甲子園の風BACK NUMBER
野球応援のド定番「コンバットマーチ」。
その生みの親と初センバツの小豆島高。
text by
梅津有希子Yukiko Umetsu
photograph byYukiko Umetsu
posted2016/03/19 08:00
三木佑二郎氏の「コンバットマーチ」の楽譜。「1965.10.16」の記入がある。
早稲田の逆転優勝の勢いを追い風に大ヒット。
三木氏が入学した昭和37年、野球部は六大学で春4位、秋5位。翌年は春、秋とも5位と低迷を極めた。
一方慶應は、この間に2回優勝。応援部にも沈滞ムードが蔓延し、応援自体もマンネリ化していたという。
昭和39年春、7シーズンぶりに早稲田が奇跡の逆転優勝。この勢いにのって応援にも新しい風を吹き込もうと、昭和40年に三木氏が作曲した応援歌が「コンバットマーチ」だ。
「それまで、吹奏楽は応援歌の伴奏にすぎなかったので、吹奏楽のメロディーが主役の曲を考えました。メロディーが主役になれば、もっとエネルギーを爆発させるような、大声援を引き出せるのではないかと。作っている最中は、頭の中で天理高校のファンファーレが浮かんでいましたね。アパートで布団をかぶってトランペットを吹きながら、一気に書き上げました」
「天理高校のファンファーレ」とは、昭和34年に天理高校吹奏楽部の初代指揮者、矢野清氏が作曲した応援曲で、同曲も今や数えきれないほどの学校が使用する、野球応援の大定番曲だ。ヒットでランナーが塁に出た時や、得点が入った時によく演奏されている。
「小豆島コンバット トゥギャザー」はヒットするか?
「コンバットマーチ」は、作曲時は「攻撃のファンファーレ」と呼んでいた。ところが、前奏部分が当時放送されていたアメリカの人気ドラマ「コンバット!」のテーマ曲と、偶然にも似ているとの声が上がったことから、「コンバット」と改名。
同年秋の早慶戦で初披露すると、神宮球場の応援席は大いに盛り上がり、「コンバット」効果か野球部は見事優勝。
優勝パレードでもこの曲で行進し、行進曲(マーチ)としても使えるということと、応援部のリーダーが「コンバット」だと曲名を言いにくい、ということもあり、「コンバットマーチ」という曲名に落ち着いたのだという。
今や、春夏の甲子園で聴かない日はないといっても過言ではないこの「コンバットマーチ」は、今日の野球応援の礎を築いた存在といえるだろう。
ちなみに、同曲に対抗し、翌年作られたのが、慶應大学の応援歌「ダッシュKEIO」だ。「コンバットマーチ」とともに、現在も多くの学校が応援に取り入れている。
21日、小豆島高と土庄高がアルプススタンドで奏でる「小豆島コンバット トゥギャザー」。
「コンバットマーチ」の生みの親は、外野席から笑顔で耳を傾けているはずだ。