モーターサイクル・レース・ダイアリーズBACK NUMBER
ドルナ&MotoGPの25年を振り返る――。
世界のバイクレース、劇的変化の足跡。
posted2016/03/13 10:40
text by
遠藤智Satoshi Endo
photograph by
Satoshi Endo
グランプリを運営統括するスペインの「ドルナ・スポーツ」社(以下ドルナ)は、1992年にロードレース世界選手権(以下WGP)の運営を始めて今年で25周年を迎える。その節目のシーズンを迎えるにあたり、運営25周年を記念する単行本を出版することとなった。僕がグランプリを転戦するようになったのは1990年からなので、今年で27年目を迎える。つまり、僕はドルナの歴史をすべてを見てきたことになる。
先日、25周年の記念本の担当者から原稿の依頼があった。
テーマはふたつ。
ひとつは「夢の誕生」。
もうひとつは「1949年から2015年までのグランプリの歴史」というものだった。
1990年台から大きく変容したグランプリの世界。
グランプリの歴史は書くべきテーマがクリアだが、「夢の誕生」というテーマは、抽象的で実に難しい。一体、何を書けばいいのだろうか――と、しばらく思い悩む日々が続いた。
サーキットにいるときも、自宅にいるときも、このことが意識から消えることはなかったが、ついに締め切りの日を迎え、思い浮かんだことをつらつらと書き上げてギリギリ間に合わせた。
思い悩んでから書き出すまで約1カ月。書き始めてからはあっという間だったが、その1カ月の間、グランプリを転戦するようになってから今日までを自然と振り返ることになったし、レースの現場もずいぶん変わったなぁと思うことが多かった。
グランプリを転戦し始めた1990年は、まだ国際モーターサイクリズム連盟(以下FIM)が各国のプロモーターとWGPの開催契約を交わして各レースを管理していた時代だ。選手の出場資格は、前年度の成績などFIMが定めるリストに準じてエントリーを受け付ける形式だった。つまり、参加資格は選手にあり、その選手が参加資格を満たしていればどんなに数が多くともエントリーを受け付けなければならず、多くのライダーが予選落ちする大会も少なくなかった。
その一方で、500ccクラスのようにマシンが高価なカテゴリーにおいては、チームのランニングコストはうなぎ登りに上がっていた。小排気量クラスとは逆に、プライベートチームやライダーの参加がどんどん少なくなり、慢性的にグリッドが埋まらないという状況も生まれるようになった。
その難しい状況を解消するためにはどうすればいいのか――。