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4-1-4-1は東福岡の“信念”である。
17年ぶり選手権制覇への道のり。 

text by

安藤隆人

安藤隆人Takahito Ando

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photograph bySho Tamura/AFLO SPORT

posted2016/01/12 12:25

4-1-4-1は東福岡の“信念”である。17年ぶり選手権制覇への道のり。<Number Web> photograph by Sho Tamura/AFLO SPORT

「最高の舞台で胴上げしてもらえた」と語る森重監督。インターハイ連覇でも拒んだ胴上げが、ついに実現。

本山雅志擁する“赤い彗星”が全国を席巻!

 “赤い彗星”という代名詞が生まれたのは、1997年度のことだった。本山雅志(現・北九州)を軸に、東福岡の【4-1-4-1】が全国を舞台に猛威を振るう。

 まずはインターハイを制し、高円宮杯全日本ユース(現・高円宮杯プレミアリーグ)でも優勝を果たし、そして迎えた第76回選手権。

 3回戦で国見を2-0で破ってリベンジを果たすと、帝京との「伝説の雪の決勝戦」をも制し、選手権初優勝を飾った。

 史上初の高校3冠達成と、公式戦52試合無敗記録の樹立――。

 高校サッカー界において金字塔と言える、恐ろしいまでのこの記録は、未だどこにも破られていない。

 森重が東福岡のメインキャストとして参画してきたのは、その偉業の翌年のことだった。

名将から受け継いだ、名門サッカー部の難しさ。

 1998年、森重はコーチに就任した。当時、福岡ブルックス(現・アビスパ福岡)で現役を引退し、ブルックスの育成普及をやっていた森重に白羽の矢を立てたのは志波本人だった。

「直感的に彼なら良いサッカーを選手達に与えられると思った」

 志波は彼の指導者としての資質を見抜き、同校OBではない彼をコーチとして招聘した。そして、志波・森重体制の1年目で選手権連覇を成し遂げた。

「ここで1年間、チームに携わらせてもらったことが大きかった。全国優勝も味わえたし、何より学校がプロ並の準備をして、この大会に臨んでいく、選手達も気持ちを高めて臨んでいく。その姿を間近で見て正直驚いたし、『高校サッカーって面白い』とその魅力に取り憑かれた。高校の指導者を続けたいと強く思った」。

 森重は高校時代を、全日空横浜ユース(当時、日本リーグに所属した全日空の下部組織)で過ごした。高校サッカーを経験していなかったからこそ、選手権に向かってチームが高まっていく過程が新鮮で、刺激的だった。翌年には、外部コーチから東福岡の正式な職員となり、どっぷりと高校サッカーに浸かる日々が始まった。

 だが、そこからは苦難の連続だった。2003年に志波から監督の座を引き継ぐと、結果が出ない日々が続いた。

【次ページ】 最初は高校サッカーを甘く見ていた。

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