サムライブルーの原材料BACK NUMBER
自分のプレーができないときに――。
青山敏弘の変貌を生んだ「自分の幅」。
posted2015/12/25 10:40
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph by
J.LEAGUE PHOTOS
「もう全部が実力不足だと感じています。自分のプレーをさせてもらうことがなかなかできない、そういうときにどうするか……。何ができるかと言ったら、今(の自分で)は何もできないんで、それがただただ悔しい。そういう現実ですね……。やれない自分が悪い」
2014年6月25日、ブラジル・イトゥ。
前日、コロンビアに1-4で完敗してグループリーグ敗退が決まったザックジャパン。ベースキャンプ地に戻っても重い空気が支配していた。とりわけコロンビア戦に先発で抜擢されながらも思うようなプレーができなかった青山敏弘は、一夜明けても失意に満ちたままだった。途切れ途切れになる言葉が、その悔しさを物語っていた。
控え組でもずっと高いモチベーションを保ち、「選んでくれたザックさんに恩返ししたい」と言ってきた。オフ明けの練習で「どんなふうにして休みを過ごしたか?」と尋ねると、「戦いに来ている以上、オフなんて関係ないですよ」と真顔で返されたこともあった。
全身全霊、すべてをW杯に、ザックジャパンに捧げようとした。責任感も、強すぎるほど強い。だからこそ、力を発揮できなかったことに対するショックは計り知れなかった。己を責めていた。「また日本で」と、無理につくった笑顔に色はなかった。
青山は「いい守備」のスイッチだった。
2015年、今度は彼の誇らしい笑顔に出会うことができた。
サンフレッチェ広島が堂々の年間1位に輝き、11年ぶりに復活したチャンピオンシップを制して2年ぶりのリーグ優勝を決めた。「失点ゼロを目指して、いい守備からいい攻撃につなげる」コンセプトが徹底され、厳しい練習のもとでチームが底上げされた。その結果、18チーム中最多の73得点、最少の30失点を記録した。優勝にふさわしいチームだった。
そして青山は「いい守備」を発動するスイッチであり続けた。
ボールホルダーに対して体を激しく当ててボールを奪い取り、セカンドボールに食らいつく。常に走り続けて、危機察知を働かせる。身ぶり手ぶり、大声を張り上げて指示を出す。泥臭い背番号「6」が、粘り強く勝負強い広島の象徴であった。