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細貝萌が明かしたトルコ移籍への思い。
幻となったヘルタのキャプテンマーク。
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph byYusuke Mimura
posted2015/12/13 10:50
ブルサスポルはトルコリーグ創設から4年後の1963年に創設された歴史あるクラブ。細貝はトルコで再び輝こうとしている。
「本当に必要な選手であれば……」
「それが負担になったということはないです。元気とはちょうど歳が5つ離れているんですよ。浦和レッズのとき、僕は(鈴木)啓太さんの5歳下で、啓太さんは色々な面で僕のことをかわいがってくれたり、助けてくれたりしていた。自分にとっては、そういう感じで元気のことをかわいがってあげたり、言葉の面などで助けてあげたりしていただけなんです」
クラブは、シーズン後半戦の準備の始まる1月から日本人の通訳を雇った。しかし、そこから約1カ月たってハンガリー人のダルダイ監督が就任すると「通訳をつけるのは甘えだ」と断罪、通訳との契約を解除した。
ただ、細貝は冷静に話している。
「監督に対して文句があるかと言われても、そういうものは全くないです。厳しい状況だったし、監督の求めるものと合わなかった面はあるでしょうけど、それも自分の実力不足。本当に必要な選手であれば、何があっても使ってもらえるだろうなと思っていますから」
この言葉はきれいごとではない。ルフカイからの評価も、最初から高かったわけではない。アウクスブルクでの最初の半年間、出場が可能だった14試合のうち、スタメンで起用されたのはわずかに5試合だけ。実力がルフカイに認められたのは、アウクスブルクでの2シーズン目が開幕した後のことだった。
巻き返しの時期に襲ってきた帯状疱疹。
アウクスブルク時代に証明したように、自分の持っているものをコツコツと見せていけばダルダイ監督からの評価も変わるかもしれない、そう考えていた。
しかし、そんな中でもう一つの悲劇が襲う。身体中に増えていった帯状疱疹だった。
2月1日にリーグ後半戦が再開してから、ずるずると順位が下がる中で、その症状は出始めた。ひどくなると足を地面に着くだけでも痛みが走る。疱疹がかさぶたになって破れ、黴菌が入った。手術は回避できたが、治療のための入院は避けられなかった。
「練習や試合のなかで、自分では防ぎようのない怪我をすることはありますよ。でも、いつも思うのは、怪我したときに後悔はしたくないということなんです」
怪我をする確率を1%でも減らすための努力を惜しまなかった細貝にとって、なんとか見返したいと思っている時期に訪れた、過酷すぎる状況だった。