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細貝萌が明かしたトルコ移籍への思い。
幻となったヘルタのキャプテンマーク。
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph byYusuke Mimura
posted2015/12/13 10:50
ブルサスポルはトルコリーグ創設から4年後の1963年に創設された歴史あるクラブ。細貝はトルコで再び輝こうとしている。
「今回はベンチからのスタートだ」
ダルダイが就任して最初に行なわれたのが2月7日のマインツ戦だ。それまで絶対的なレギュラーとしてチームを引っ張ってきた細貝は、試合前にこう声をかけられた。
「疲れが見えるから、今回はベンチからのスタートだ」
それでも後半21分から出場。リードを守りきるという仕事をまっとうし、2-0の勝利に貢献した。奇しくも、この試合は細貝にとってブンデスリーガ100試合目となる節目の試合だった。
監督が代わった最初の試合でそれまでとは異なる選手が起用されるのはよくあることだ。だが、翌週の第21節フライブルク戦を境に細貝は試合から離れることになる。続く22節のヴォルフスブルク戦はベンチ入りしながらも出番はなし。そして、そこからはベンチ入りさえかなわなくなった。
細貝は当時をこう振り返る。
「マインツ戦のころは、はっきりいって、嫌な予感はしていなかったです。練習でも調子は悪くなかったし、『疲れているから』と言われても、そうなのかなと思っていたくらいで。これは完全にマズイなと思ったのはシュツットガルト戦のときです」
遠征メンバーにすら選ばれなかった……。
3月6日に組まれていた第24節のシュツットガルトとのアウェーゲームを迎えるにあたり、ヘルタには問題が生じていた。怪我人や出場停止の選手が出たことで、2つある守備的MFのポジションを務められるのは、細貝の他に、ルステンベルガーと、足の指の付け根の怪我からおよそ7カ月ぶりに復帰したシゲルチだけだった。
さすがにチャンスを与えられるだろう。細貝もそう考えていた。しかし、遠征メンバーにさえ選ばれなかった。
「ハジって、長期間の出場停止にでもなったの?」「監督との間で“何かあった”のか?」
チームメイトはそんなことを真顔でたずねてきた。苦笑いして、「そんなことはない」と答えることしかできなかった。
クラブの迷走する方針にも翻弄された。このシーズンから加入した原口元気がドイツ語を理解できるようになるまで、細貝が手助けをする光景がしばしば見られたが、クラブ側はそれがプレーの妨げになっていると決めつけた。