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細貝萌が明かしたトルコ移籍への思い。
幻となったヘルタのキャプテンマーク。

posted2015/12/13 10:50

 
細貝萌が明かしたトルコ移籍への思い。幻となったヘルタのキャプテンマーク。<Number Web> photograph by Yusuke Mimura

ブルサスポルはトルコリーグ創設から4年後の1963年に創設された歴史あるクラブ。細貝はトルコで再び輝こうとしている。

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ミムラユウスケ

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Yusuke Mimura

 ベルリン郊外、ヘルタ・ベルリンのクラブハウスのパソコンに、人目に触れず眠ったままの、1枚の写真データがある。

 その写真は細貝萌というサッカー選手を象徴する1枚と言えるかもしれない。

 その写真が眠るベルリンから2000キロ以上も離れた、かつてのオスマン・トルコの首都ブルサで、細貝はいま、サッカーと向き合っている。

 ヘルタ・ベルリンからブルサスポルへ。ヘルタとの契約は2017年6月30日まで残っており、レンタル移籍という形ではあるが、細貝はなぜ戦いの場を移したのか。そして、かの地でどんなことを考えて、サッカーに取り組んでいるのだろうか。

ルフカイ監督時代、不動の選手だった。

 2013-'14シーズンに2部から1部にあがったヘルタに補強の目玉としてやってきた細貝は最初のシーズン、1試合を除くリーグ戦33試合に出場し、不動の選手としてチームを支えていた。当時のヨス・ルフカイ監督は、細貝が2011年2月から1年半にわたりプレーしたアウクスブルクでも指揮をとっていたことがあり、彼の能力を高く評価していた。

「今日の試合で戦っていたのはハジだけだ」「このチームのベストプレーヤーはハジだ」

 ルフカイはメディアやファンにむけても、細貝への賛辞を惜しまなかったし、もちろんファンからの評価も高かった。'14-'15シーズン開幕前のプレシーズンマッチで、細貝からユニフォームをもらったファンの子どもが感動と興奮のあまり、涙を流しているのが話題になったこともある。

 しかし、1部での2シーズン目となった'14-'15シーズン、ヘルタは苦しい戦いを強いられた。前のシーズンでエースとして君臨したラモスがドルトムントへと移籍。その穴は埋めきれず、勝ち点を失うことも少なくなかった。

 ルフカイ監督への批判は日に日に高まり、シーズン後半戦の2試合目となった2月4日にレバークーゼンに敗れ、自動降格となる17位に沈んだことで解任された。

 そこで白羽の矢が立ったのが、ヘルタの下部組織の監督とハンガリー代表監督を兼任していたダルダイだった。彼は、現役時代にヘルタの選手としてチーム最多の286試合に出場している。チームを救うために抜擢されたレジェンドは、シーズン終了までの暫定監督という形でトップチームを率いることになった。

【次ページ】 「今回はベンチからのスタートだ」

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