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'85年、阪神日本一の陰の立役者。
川藤幸三が語る“控え”の重要さ。
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph bySports Graphic Number
posted2015/10/09 16:30
「代打・川藤」は打席以外でも阪神の日本一を支える存在だった。
吉田監督「このままやってくれ」
――川藤さんにそこまで言われても、首脳陣は平気なんですか?
「翌日には監督が『カワ、スマン! ワシもカッとなってやってしまった。昨日の態度なんかはどうでもええ。このままやってくれ』と言ってくれるんですね。それでワシも『そう言ってくれるのはありがたいです。とにかくみんな責任は自分と思っているから、準備だけはしっかりさせて下さいよ。控えはそこに進退かけてるんです』と言って頭を下げました」
――川藤さんも川藤さんなら、吉田監督もそういう度量の大きさがあったということですね。そもそも川藤さんを首脳陣と選手のつなぎ役として指名したところが、やはり見る目があったということですね。
「だから9月に藤村(富美男)さんに呼ばれて、『お前はそれでええんじゃ』と言われたときには、初めて虎の一員になった、いいチームに入ったと思いました。それまでは個人的には何かにつけてただ反発しとった。と、いうて優勝の有り難さや経験もない。こんな中途半端な選手生活で終わったら、『ワシはプロ野球におりました』なんてどのツラ下げて言えるのか。だから優勝したいな、優勝したいな、というのがふつふつとさらに強くなったんですね」
「お前には虎の血が入っておる」
――優勝のためなら首脳陣とのつなぎ役でも嫌われ役でも、なんでもやるという覚悟が、藤村さんの言葉で初めて評価されて、そして最後に実際に勝つことで報われた。そういう1年間だった。
「ワシは藤村さんがかけてくれた言葉を聞いて思ったことがあるんです。巨人やったらどうやろ、と。川上(哲治)さんや別所(毅彦)さん、千葉(茂)さんが、ワシみたいな補欠の選手に、そこまでの話をしてくれたやろか。巨人やったら、なかなかそうはいかんやろなと思ったんです。それが阪神や、っちゅうことです。だから藤村さんに『お前には虎の血が入っておる。それを仲間や後輩に伝えていくのがお前の仕事や』と言われたときには、本当に嬉しかったんです。だからワシは翌年、ユニフォームを脱ぐときに、そういう話をしたんです。話したのはカケ(掛布)でもオカ(岡田)でもない。引退を決めて最後の遠征が広島やったと思うけど、そのときに『今晩、用事あるか?』と誘ったのは真弓(明信)だったんです」
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吉田義男はこう振り返る。
「あの年はとにかく打った、打ったという話になりますが、どんな状況でも個々の選手が自分の仕事をきちっとこなしてくれた。それがあの年の阪神の強さでした」
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