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新体操、個人枠でついにリオ五輪へ。
苦節11年、過酷な時代を振り返る。
text by
椎名桂子Keiko Shiina
photograph byAFLO
posted2015/09/16 10:30
今後、体操協会は皆川(写真)と早川のどちらか1人を選んで日本代表とすることになるという。
長期間にわたって共同生活を送る選手たち。
2005年末に行った公開オーディションの合格条件のひとつは、「練習本拠地での合宿生活が送れること」だった。
千葉県の通信制高校の体育館を提供してもらい、その近くのマンションで合宿生活を送る。学校も通信制にする。それだけの条件をのむ覚悟があった上で“世界を目指す強い意志をもつ選手”を募ったのだ。その結果選ばれた選手の中には、実績はほとんどない選手もいた。それでも、「世界でも評価を得られそうなスタイルの良さと、鍛えれば使えるだけの身体能力」をもった選手たちで練習漬けの合宿生活をおくり、まずは北京五輪の出場を果たす。そこがスタート地点だった。
当時は、この方式に異を唱える人も少なくなかった。うまくいく保証がないということで、自分の指導する選手を出したがらない指導者もいたし、保護者の理解が得られない場合もあった。多くの人が半信半疑で、「このやり方でいいのか?」という声は常にあった。おそらく指揮を執っている側にも迷いはあったのではないかと思う。
それでも、2007年世界選手権7位で北京五輪の出場枠獲得。北京五輪本番では目標としていた決勝進出をわずかの差で逃したものの、2009年に日本で開催された世界選手権では北京と同じメンバーで雪辱を果たし団体総合8位入賞、種目別ロープ&リボンで4位という成績にまで達した。
世界でのメダルには届かないながらも……徐々に世界でのランクは上がってきていた。ここまでがいわば団体競技での日本代表「フェアリージャパンPOLA」の創成期だ。
徹底的にロシアの指導を重視した結果……。
2009年末、北京五輪経験者は田中琴乃、遠藤由華という2人のみを残し、フェアリージャパンPOLAはメンバーを一新。そのためのオーディションが行われた。このときに入ったのが、現メンバーでは畠山愛理、松原梨恵だ。そしてこのチームは、オーディション直後ただちにロシアでの長期合宿に入った。
日本は、個人に先立ちまず団体から「ロシアの指導を乞う」ことを決断。世界の新体操を引っ張るロシアの懐に飛び込むことで、技術の向上を目指すのが主たる目的だが、同時に、「あのロシアが指導している日本のチーム」というお墨付きを求めたという面もあったと思われる。
モデル並みのスタイルの選手たちを揃え、ロシア流の演技をする日本のフェアリー達は、ここから一気に世界での知名度を高めていく。現在は練習拠点こそ日本に戻してはいるが、作品作りや演技のチェック、試合前の合宿など年に何回もロシアに渡ることは続いている。ヘッドコーチは、今もロシア人のインナ・ビストロバだ。
その体制で、2011年世界選手権5位、2012年ロンドン五輪では念願だった決勝進出まで果たして7位。2014年の世界選手権で8位になると「悔しい8位」だと言うようになった。昨年の時点ですでに、フェアリージャパンPOLAは、もう入賞で満足するようなチームではなくなっていたのだ。