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新体操、個人枠でついにリオ五輪へ。
苦節11年、過酷な時代を振り返る。
text by
椎名桂子Keiko Shiina
photograph byAFLO
posted2015/09/16 10:30
今後、体操協会は皆川(写真)と早川のどちらか1人を選んで日本代表とすることになるという。
皆川、早川を例外扱いしたことの明と暗。
今回の皆川の快挙は、選手本人の素質と重ねた努力の賜物だ。さらに、「リオ五輪は2人(皆川、早川)に託す」と集中的な強化を行った日本体操協会の決断も大いに後押しをした。
ただしこの強化策の陰で、国内では多くの選手たちが世界選手権や五輪への出場という夢を断たれてきた事実も忘れてはいけない。実績があるにもかかわらず強化選手から外された選手も沢山いたのだ。
どんなことがあっても「日本の新体操の個人(皆川と早川)」の国際的な地位を上げることは優先されてきた。それは日本の新体操を巡る状況の中に、なんとしても「五輪の出場枠」を奪還するのだという確固たるミッションがあったからだ。
結果的に、皆川の健闘で日本は個人での「五輪出場枠」を1つ確保した。早川は惜しくも17位で今大会での枠の確保を逃したが、「五輪で2枠も夢ではない」そんな希望が見えた大会でもあった。
思い切った強化策が功を奏した団体競技。
2012年までの日本の新体操界は、個人競技に関しては基本的に「日本のトップ=日本代表」という形をとってきた。しかし2013年以降は、皆川と早川を優先的に代表としてきた。そのことに反発が皆無だったわけではないと思う。が、あらゆる反発を抑えて強化策がおし進められたのは、同様の強化が先行していた団体競技での成功事例があったからだ。
今回の世界選手権の団体総合で5位となり、リオ五輪の出場枠を獲得しただけでなく、種目別決勝のリボンでは銅メダル獲得という40年ぶりの快挙を成し遂げた日本代表チーム「フェアリージャパンPOLA」。
北京五輪、ロンドン五輪とすでに2大会連続で五輪にも出場しており、ロンドン五輪では決勝にも進出した日本の代表チームだが、実はこのフェアリージャパンPOLAも競技実績のみで選ばれた選手たちだけで構成されているわけではない。
日本の団体チームは、2004年のアテネ五輪の出場を逃している。2000年シドニー五輪では団体総合で5位となり、「日本も団体ならば世界と勝負できる」と意気込んだ矢先の五輪枠喪失に、強化策も混とんとした時期があった。
しかし、その困難な時期を乗り越えるべく、協会は2006年に「選抜団体方式」を本格的に稼働させたのだ。