オリンピックへの道BACK NUMBER
五輪出場のフェアリージャパン。
進化の秘密は“素材型”選考に。
posted2015/09/22 10:30
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
KYODO NEWS
帰国時の笑顔が、手にした成果を物語っていた。
9月13日に閉幕したドイツ・シュツットガルトでの世界新体操選手権で、日本は期待以上と言ってもよい成績を残した。
11日の個人総合決勝で皆川夏穂が15位となり、リオデジャネイロ五輪出場枠を獲得。個人での出場枠は3大会ぶりのことだ。
12日には、団体総合で5位となってこちらも五輪出場権を得た。
さらに最終日には、団体種目別のリボンで銅メダルを獲得。40年ぶりの表彰台に輝いたのだ。
これらの好成績をもたらしたのは、2004年のアテネ五輪後の再出発にある。
当時、新体操界は危機感に包まれていた。個人こそアテネ五輪に出場したものの、団体では出場が叶わなかった。
ロス五輪入賞の山崎浩子氏に白羽の矢が。
再建を担う人材として白羽の矢が立ったのは、全日本選手権5連覇、五輪正式種目になった1984年のロサンゼルス五輪で8位入賞などの活躍で、新体操に注目を集める原動力となった山崎浩子氏だった。
強化本部長に就任した山崎氏が打ち出したのは、団体を重点的に強化すること。そしてその方法が、選抜されたメンバーによる長期的なトレーニング、さらに選考の内容の変更だった。
何より注目を浴びたのは、個人を後回しにして団体に注力するということ自体が思い切った策だ。山崎氏は、のちにその背景をこう語っている。
「過去の国際大会の結果から見ても、個人でメダルを狙うのは困難。しかし団体は、アテネは出られなかったとはいえ、1999年の大阪世界選手権で4位、2000年のシドニー五輪で5位の結果を残したように、メダルを狙える可能性があります」
団体を主眼にした上で、メンバーのチーム化を図った。