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ローマのジェコ&ピアニッチが凄い!
欧州の移民問題に彼らは何を思う。
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph byAFLO
posted2015/09/09 10:30
マンチェスター・シティからレンタルでローマへやってきたエディン・ジェコ(右から2番目)。昨季は出場機会が減っていたが、プレミア屈指の点取り屋だったことは間違いない。
ピアニッチが代表の試合に受けた衝撃。
現在のボスニア代表主将であるジェコの出生から遅れること4年、ミラレム・ピアニッチはボスニア第三の都市トゥズラで生まれた。
戦火の匂いを嗅ぎ取った両親は、ミラレムが1歳になったばかりの'91年に、幼子の彼を連れてボスニアを脱出した。疎開先はルクセンブルクだった。
「まだ小さかったからよく覚えていないが、両親は辛い選択をしたはずだ。すべてを捨てて、異国でゼロからやり直すというのは簡単なことじゃない」
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5歳のミラレムは、サッカー選手だった父の練習について行くうちに、自分でもボールを蹴り始めた。ジダンとカカに憧れた少年ミラレムは、遠く離れた祖国とその代表チームにも思いを寄せた。
「確か14歳のとき、ルクセンブルクから20時間かけて長距離バスに乗って、ボスニアまで行って代表の試合を見たことがあった。そのとき“祖国の人びとのために、いつかあの代表のユニフォームを着よう”と心に決めたんだ」
早熟で才能があり、リーズナブル。
ほどなくしてフランスのメツから声がかかり、ピアニッチは新天地へ一人で旅立った。リヨンで頭角を現し、豊潤の都ローマへやってきたのは'11年のことだ。
名前の語尾に“ic”がつく選手たちは、移り住んだ土地でたくましく育った。
幼少の頃から厳しい練習に慣れており、戦術訓練を施すための素地ができている旧ユーゴ出身のティーンエイジャーたちは、早熟で才能がある上に移籍金額もリーズナブルだ。アドリア海をはさんだ戦術大国イタリアが、彼らを放っておくはずがない。
'90年代後半以降のセリエAでは、若き日のミハイロビッチ(現ミラン監督)や生涯5度のコッパイタリア獲得記録を持つスタンコビッチ(現インテルクラブマネージャー)ら、東欧の名手たちが猛威を振るった。
今季、ブンデスリーガの旧ユーゴ出身者は23人、プレミアリーグでは8人に留まる。それに対して、リーグ最多8人を抱えるフィオレンティーナを筆頭に、旧ユーゴ出身者へのセリエAクラブの傾倒ぶりは今も顕著だ。