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最も苦しかったシーズンを終えて。
細貝萌の社会貢献とサッカーの関係。

posted2015/07/07 11:00

 
最も苦しかったシーズンを終えて。細貝萌の社会貢献とサッカーの関係。<Number Web> photograph by Asami Enomoto

ブンデスリーガ最終節で途中出場を果たし、来季への足掛かりを掴んだ細貝萌。昨年10月以来の日本代表への復帰も視野に、雪辱のシーズンにするべく準備をしている。

text by

二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

PROFILE

photograph by

Asami Enomoto

 サッカー選手と社会貢献。

 欧州では世間に影響度を持つ彼らが社会活動をすることは一般的で、日本でも東日本大震災以降、その意識を強く持って活動している選手たちが増えてきている印象がある。

 ヘルタ・ベルリンに所属する細貝萌も、その一人。

 彼は一昨年から慢性血栓塞栓性肺高血圧症(CTEPH、通称シーテフ)の疾患啓発大使を務め、バイエル薬品とNPO法人PAHの会が企画・開催する6 Minutes Run for CTEPHという啓発イベントにも協力し、国が難病指定しているこの病気の認知を広めるとともに、患者支援に一役買っている。

 ブンデスリーガのオフシーズンである6月、日本への帰国中に都内で行なわれたイベントにも参加。ヘルタでの2シーズン分の走行距離(537km)とイベント参加者による6分間走の走行距離(792km)を合わせた1329kmを1km=1000円で換算した132万9000円を、患者支援団体に助成することが発表されたばかりだ。

 さらに彼は6月、出身地の群馬に自らプロデュースしたフットサル場をオープンさせた。ここには地元に貢献したいという思いも込められている。

「育ててもらった群馬に、サッカーを楽しめる場所を」

 社会への貢献、地元への貢献――。

 群馬県伊勢崎市にある大型スーパーマーケット「ベイシア」の2階屋上に、2面のフットサルコートを備えた「HOSOGAI FUTSAL PLATZ」はある。6月下旬、細貝はオープンしたフットサル場に顔を出しながら、新シーズンに向けた自主トレを行なっていた。

 細貝にとっては、馴染みのある場所。

「育ててもらった群馬で、サッカーを楽しんでもらえる場所をつくれればいいかなって思っていました。僕の出身は伊勢崎の隣の前橋ですけど、昔、実家からよくこのあたりに自転車で来ていました。あそこ見えます? あの映画館は中学生のころにはもうあったし、いろんな店があってここはよく来た場所なんです。

 地元のことって若いころは意識なんてしたことなかったけど、年齢を重ねていくと何かやれることってないかなって思うようになってきて……。自分はサッカー選手でサッカー好きなんで、サッカーができる環境をつくれないかなって。地元の先輩、後輩とかも利用してくれているし、楽しんでやってくれているのを見ると、つくって良かったかなと」

 人が密集する首都圏でオープンさせたほうがビジネスになる、というのは常識だろう。だが彼は群馬で、それも馴染みある場所につくることにこだわった。

【次ページ】 大病でサッカーを止めざるをえなかった3歳上の兄。

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