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最も苦しかったシーズンを終えて。
細貝萌の社会貢献とサッカーの関係。 

text by

二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

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photograph byAsami Enomoto

posted2015/07/07 11:00

最も苦しかったシーズンを終えて。細貝萌の社会貢献とサッカーの関係。<Number Web> photograph by Asami Enomoto

ブンデスリーガ最終節で途中出場を果たし、来季への足掛かりを掴んだ細貝萌。昨年10月以来の日本代表への復帰も視野に、雪辱のシーズンにするべく準備をしている。

「ナンバーワン」と言われながら試合に出られない。

 シーテフの活動に、フットサル場のプロデュース。

 細貝は忙しいオフを過ごす一方で、自主トレに精力的に取り組んでいた。

 もうあんな思いはしたくない。ヘルタ2年目となる2014~2015年シーズンはドイツに渡って最も苦しいものとなった。

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 チームは下位から抜け出せず、細貝自身も出色のパフォーマンスを見せた昨季のような出来をなかなか取り戻せないでいた。2月4日のレバークーゼン戦に敗れてリーグ戦3連敗を喫し、自動降格圏内の17位に転落すると、アウクスブルク時代から信頼を置かれてきたヨス・ルフカイ監督が解任されてしまう。そしてクラブOBのパル・ダルダイが後任監督となると、細貝はベンチどころか一気にメンバー外に追いやられていく。

 調子は上がっていった。しかし指揮官から「お前がボランチでナンバーワンだ」「今週の練習も凄く良かった。一番であることを証明した」と直接声を掛けられても、試合になると何故かお呼びが掛からなかった。

知らず知らず溜めたストレスで発疹が。

 当時の状況を、細貝はどう思っていたのか。

「メンバーは監督が選ぶものだし、監督に対して何か言ったこともありません。ただ、周りの選手までが不思議に思ったのか『累積(で出場停止)なのか?』とか『何かがあってベンチ外なのか?』って僕に聞いてきたりして、僕自身も何でだろうなっていうのはありました」

 調子が上がっている実感を持ち、練習でもしっかりと実力を見せているなかで起用されない。

 周囲からは理不尽と見えても、彼は気持ちを切らさないように必死だった。

 だが知らず知らずのうちに、ストレスが体を襲っていた。ベンチ外が1カ月も続いたころにストレス性発疹が発症し、眠れない日もあった。症状は悪くなる一方で、ついには1週間の入院生活を余儀なくされる。

 彼は静かに語る。

「手や足にバーッと出て、それが裂けてひび割れみたいになっていました。(足裏の)傷口から菌が入って、足が腫れてしまって抗生物質で治療したんです。あっ、これだけストレスを溜めていたんだなって思いました」

【次ページ】 カープの黒田博樹の著書を読みふける。

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