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鹿島FW育成システム、最後の結晶。
浦和のエース興梠慎三に流れる系譜。
text by
寺野典子Noriko Terano
photograph byJ.LEAGUE PHOTOS
posted2015/05/27 10:30
小笠原満男とならんで真っ赤に染まった埼玉スタジアムに入場する興梠慎三。いまやレッズのエースとなった男を、鹿島のファンも温かく拍手で迎えた。
「レッズにきて、1トップの面白さを感じている」
もちろん攻撃だけでなく、前線からのプレスも含め攻守にわたる貢献度も高い。
「レッズに来て、1トップの面白さを感じている。相手に囲まれたときに、味方の位置が遠くてもボールを獲られないようなプレーが身についた気がするし、90分間戦える身体も出来てきた。すべての面でレベルアップしていると思う。だから今の僕のプレースタイルは、レッズへ来たからこそ生まれた形。ここで自分のスタイルはどんどん変わっていった。もちろん関根みたいに突っかけていけって言われても出来ないけど、29歳という年齢だからこそやれるプレーもあるから」
興梠は、2005年に宮崎の鵬翔高校から鹿島アントラーズへ加入した。1年目にJデビュ―を飾ると、2008年には移籍した柳沢敦がつけていた13番を背負う期待度だった。しかし本人は「高校時代からつけていた愛着のある番号だったから」と、サポーターにとっても特別な“13”という背番号の意味について当時は深く考えていなかったようだ。
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「13番をつけたこともあって、ヤナ(柳沢)さんと比べられることも多かった。そこにやり甲斐もあったけれど、同時にプレッシャーもあった」
マルキーニョスから学んだものとは?
鹿島というクラブは長年、ブラジル人フォワードと日本人フォワードの2トップという形で戦ってきた。それは「日本人選手を育てる」という意味合いが強く、柳沢以降も次々と代表クラスのフォワードを輩出している。強烈なブラジル人アタッカーとのコンビネーションを重視し、シュートよりもパスを選択しがちな日本人選手への評価が分かれることもあったが、熾烈なレギュラー争いを戦った選手たちは確かな力を身に着けていた。
鹿島でストライカーに求められるものは極めて多い。ポストプレー、パスセンス、視野の広さ、機敏な動き直し、そしてテクニック。
加入直後は試合に出てもパスすら貰えなかったという興梠だが、彼もやはり時間を重ねる毎に力をつけていく。
「やっぱり周囲の選手から学ぶことがたくさんあった。僕がコンビを組んだのはマルキーニョス。彼から一番学んだのは、身体の入れ方。とはいっても、真似をしようと思ってもできるものじゃない。自分はいいプレーを盗もうと研究するタイプの人間でもなかったから(笑)。それでも、感覚的に身についたものはあると思う」