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FAランクと死球王。
~秋信守に見る「当たり屋」の系譜~ 

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芝山幹郎

芝山幹郎Mikio Shibayama

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posted2013/11/30 08:01

FAランクと死球王。~秋信守に見る「当たり屋」の系譜~<Number Web> photograph by Getty Images

四球数を昨季の73から112に伸ばし、メジャー9年間で自己最高の出塁率をマークした秋信守。

リーグ2位の四球と、1位の死球で出塁する。

 事実、2013年の秋信守の出塁率は、ナ・リーグ2位だった(1位はレッズの同僚ジョーイ・ヴォットの4割3分5厘)。数字を支えたのは、やはり四死球の多さだ。162安打/112四球/26死球。四球の数はリーグ2位(1位はヴォットの135個)で、死球の数はリーグ1位。投手に球数を投げさせることにかけては、ナショナルズのジェイソン・ワースと双璧といってよいのではないか。

 死球の史上最多記録は、ヒューイ・ジェニングスが1896年に受けた51個だ。お、あのオリオールズの、とつぶやいた方は正しい。

 1890年代のオリオールズ(ナ・リーグ)は、強いことも強かったが、悪事の限りを尽くすチームとして知られていた。三塁手のジョン・マグローは、敵の走者がタッチアップしようとすると、かならずベルトを引っ張った。左翼手のジョー・ケリーは、長く伸びた芝にボールを隠し、それを使って相手を刺した。要するに、「勝てばいいだろ、勝てば」の思想がチームに浸透していたのだ。

 そんなチームのなかで最も攻撃的だったジェニングスの死球は、当然多くなった。彼はつねに球に向かっていった。頭に死球を受けても最後まで戦いつづけ、試合終了後に昏倒して3日間入院したこともある。'95年=32個、'96年=51個、'97年=46個、'98年=46個という継続的な数字は、ジェニングスが確信犯的な当たり屋だったことを証明する。

「選球眼と走力と長打力」でメジャーに生き残るか。

 20世紀以降の近代野球では、ロン・ハントが「ミスター死球」だった。1968年から'74年にかけて7年連続でナ・リーグの死球王(年間死球数は、大体24個から26個の間だった)という記録も凄いが、'71年の50死球は、近代野球では群を抜いている。「俺は野球に身体を捧げた」といいつづけていたハントの通算死球数は、'74年当時最多の243個(12年間)。この記録は、のちにドン・ベイラー(267個/19年間)やクレイグ・ビジオ(285個/20年間)に破られるが、あとのふたりは実働年数がはるかに長い。

 秋信守は、ジェニングスやハントの系譜を継ぐのだろうか。2013年4月に月間10個の死球を受けたときは「新・死球王」の予感が脳裡をよぎったが(5月と6月も5個ずつ)、7月以降は合計で6個の死球しか受けていない。現役選手だけに絞っても、秋信守の通算死球数(81個)は26位だし、通算四球数(449個)は66位のランクだ。これを見るかぎり、彼の場合は「選球眼と走力と長打力」のバランスが売り物になると思う。左投手を打てない(2013年は181打数で2割1分5厘)という弱点さえ克服すれば、あと5~6年はメジャーの第一線で活躍できるのではないか。

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