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“妄想力”で緻密に描く、
堂場瞬一のスポーツ小説。
~著者自らが語るその醍醐味とは?~ 

text by

戸塚啓

戸塚啓Kei Totsuka

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posted2010/12/19 08:00

“妄想力”で緻密に描く、堂場瞬一のスポーツ小説。~著者自らが語るその醍醐味とは?~<Number Web> photograph by Sports Graphic Number

『水を打つ』 堂場瞬一 実業之日本社文庫 上下巻 各648円+税 文庫創刊ラインナップを飾る、競泳界が舞台の大作

 堂場瞬一という作家がもたらす一般的なイメージは「刑事・鳴沢了シリーズ」に代表されるハードボイルドタッチの警察小説ではないだろうか。しかし、氏のデビュー作は野球の投手を主人公としたスポーツ小説だ。ミステリーと並行してスポーツ小説を発表していく新たなスタイルは、10月に刊行が始まった実業之日本社文庫の『堂場瞬一スポーツ小説コレクション』へと結びついた。

「ミステリーとスポーツ小説を二つの車輪にすることで、自分のなかでバランスを取っているところはあります。基本的に、まったく別の筋肉を使っている。どちらかひとつだと、テニスエルボーのようになってしまうので。スポーツ小説は非常に疲れます。ミステリーは伏線があってオチがあれば、物語として成立する。でも、スポーツ小説は伏線が徐々にハマってエンディングを迎える、とはならないことが多い。スポーツには予想もつかないアクシデントがありますから。リアルにしようとすればするほど、小説としては不自然になってしまうことがある」

 競技の本質を損なわずに、小説ならではのエンタテインメントを織り込む。相反する二つの作業の追求は相当な労力を必要とするため、「年に一冊ぐらいしか書けないんですね」と言う。

「突拍子もないことは書くべきでないと思うんです。甲子園で場外ホームランを打つ高校生とか、水泳男子の100メートル自由形で、いきなり45秒台を出す選手は出てこない。小説ですからファンタジーへ振るのはアリですが、僕自身の好みではなくて。サスペンスと融合させないのも、スポーツを汚すことにならないか、という気持ちがあるから。スポーツ小説をマンガ的にとらえている方には、僕の作品は物足りないかもしれません」

てっぺんに来た選手の人間臭いいやらしさを表現したい。

 物足りないはずがない! と否定する読者は多いはずだ。競技の特性やアスリートの心情はもちろん、大会の舞台裏まで事細かに描き出す筆致は、圧倒的な臨場感を持って我々を物語へ引き込む。

「スポーツ小説にも名作と言われるものはたくさんありますが、中学生とか高校生の成長過程を描くのがひとつのパターンとなっている。それはもちろんアリで、感動的でもあるんだけど、僕はあまり好きじゃなくて(笑)。てっぺんに来ていて、物凄くワガママな人を書きたい。アスリートって、基本的にエゴイストじゃないですか。チームスポーツでもそうで、レベルが上がるほどそういう傾向は強まる。実は爽やかなものでなく、エゴのぶつかり合いがあって、それによって技術が高められている。人間臭いいやらしさは絶対にあるわけで、それを表現したい」

【次ページ】 ノンフィクションで削られがちな剥き出しの感情に迫る。

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