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フェラーリの侍エンジニア、浜島裕英。
16年前のスペインGPでの忘れえぬ涙。
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph byMasahiro Owari
posted2013/05/17 10:30
“ビークル&タイヤ・インタラクション・ディベロップ・ディレクター”として働いている浜島。悪評高いピレリタイヤを相手に、シャシーとのバランスを考える、今季最も注目される部署で陣頭指揮を執る。
忘れられない記憶があった。
16年前、F1参戦初年度となった97年スペインGPである。
予選後のチームミーティングでブリヂストンのスタッフを待っていたのは、かつてないほどの厳しい批判だった。スペインGPが行われるカタロニア・サーキットは、F1屈指のタイヤに厳しいコースとして知られていた。カタロニア・サーキットと同様、タイヤに厳しい鈴鹿で鍛えてきたブリヂストンは、満を持してハードコンパウンドを投入。しかし、ブリヂストン装着組の結果は、オリビエ・パニス(プロスト)の12位が最上位に終わった。
ライバルであるグッドイヤーに完敗した。
「こんなタイヤでは戦えない」
ブリヂストン・ユーザーの関係者から次々と浴びせられる批判。心が折れそうになっていた浜島裕英を救ったのは、3度ワールドチャンピオンに輝いたジャッキー・スチュワートの言葉だった。
「われわれはパートナーだ。彼ら(ブリヂストン)を信じて決勝レースを戦おう」
予選で一敗地にまみれたブリヂストンだが、浜島には勝算があった。
「ライバルのタイヤは一発のグリップ力はあるが、長いレースでは持たない」
果たして翌日の決勝レースは、浜島の予想通りグッドイヤー勢がブリスター(火ぶくれ)に悩まされて失速。12番手からスタートしたパニスが2位でフィニッシュ。トップとはわずか5.8秒差だった。表彰台の下で「よくやった」と労いの言葉をかけられた浜島は、人目をはばからず、泣いた。
ピレリタイヤへの批判渦巻くなか、一切言い訳をしなかった浜島。
あれから16年。
今年のスペインGPも、タイヤへの批判が集中した。しかし、現在のF1はタイヤメーカー同士の戦いはなく、ピレリが独占供給している。問題となったのは、耐久性の低さだった。
トップチームの中には「タイヤの摩耗を抑えるために、あえて遅く走らなければならない。これではもはやF1とは呼べない」と公然とタイヤを批判する者もいた。
しかし、浜島は一切、批判めいた言葉を口にしなかった。
なぜなら、ブリヂストン時代に1社独占供給することの大変さを身に染みて経験していたからである。