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第3回WBCの“スーパーサブ”は誰?
侍ジャパンの命運を左右する脇役達。
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph byNaoya Sanuki
posted2012/11/27 10:30
第1回WBCで、谷繁、和田一浩らとともに「いらん子軍団」と自嘲しつつレギュラーメンバーのサポート役に回った宮本。注目の第3回WBCメンバー発表は11月30日だ。
WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)は過酷である。
「僕の中で3度目はなかった」
ニューヨーク・ヤンキースからフリーエージェントとなったイチロー外野手は、来年3月の第3回大会への出場辞退を正式に発表した際に、こんなコメントを出した。このコメントからは色んな意味が読み取れるが、その根底にある気持ちをひとことで言い表せば、「もう、いいでしょう」ということではないだろうか。
過去2大会の出場のため、イチローも、様々な代償を支払ってきた。実際に第2回大会後は、極度の精神的、肉体的な疲労から胃潰瘍を発症して、メジャー移籍後初めての故障者リスト入りも経験している。メジャーでプレーする選手として、レギュラーシーズンの調整というリスクを背負って出ることを2回もやった。
だから「もう、いいでしょう」ということなのだと思う。
このリスクを背負った出場というのは、もちろんメジャーの選手ばかりではないはずだ。日本から出場する選手たちも、それぞれが大きなリスクと障害を覚悟しての出場になるのは言うまでもない。
サポート役に徹したベテランの日の丸を背負う責任感。
そしてその中でも、一番過酷な環境を強いられるのが、実はイチローのようにレギュラーとして試合に出場する選手ではなく、控えとしてサポートに回る選手たちだ、ということも見逃してはならない事実だと思う。
2006年の第1回大会で、自称「いらん子軍団」という集団がいた。
ヤクルトの宮本慎也内野手と中日の谷繁元信捕手、そして当時西武の和田一浩外野手のベテラン3人組だった。
まだ、海のものとも山のものとも分からなかった大会。日の丸を背負う責任感だけで出場を決意した3人だったが、大会に入ってみると、彼らはレギュラーの岩村明憲内野手(ヤクルト)、里崎智也捕手(ロッテ)、そしてイチロー外野手のサポート役で、ほとんど試合出場の機会もなかった。
そればかりではない。
アメリカに渡った第2ラウンド以降は、代表チームへの練習の割り当て時間が短かったため、控えの3人は時間を削られ1日3分しか打撃練習をできないこともあった。