野ボール横丁BACK NUMBER
プロ野球観戦中の事故は誰が悪い?
日米比較で考える、野球場の安全性。
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byGetty Images
posted2012/08/01 13:15
シカゴ・カブスの本拠地リグレー・フィールドの観客席。今でも手動のスコアボードで、フェンスにはツタが絡まる(ツタでボール紛失は2塁打)。名物オーナーの「野球は太陽の下でやるものだ」との言葉で長らくナイターも無かったなど、球場運営の信念の塊のような、名ボールパークである。
「毎日でも野球観戦ができる」と思わせる臨場感。
安全かどうかという問題で言えば、リグレー・フィールドは、楽天のクリネックススタジアムや札幌ドームの比ではない。
しかし、リグレー・フィールドで試合を観ると、およそ100年前、どうしてあのような形にしたのかがわかるような気がするのだ。
野球とは、そもそも間の多いスポーツである。つまり、それだけのんびりと観戦できる。トイレに行く時間もあるし、ビールを飲む時間も、食事をする時間もある。
だが、ネットがないと、その雰囲気が一変するのだ。いつファウルボールが飛んでくるかわからないという緊張感だけで、野球がエキサイティングなものに変わる。退屈してしまいそうなゲーム展開でも最後まで集中できる。
ここなら毎日でも野球観戦ができそうな気がしたものだ。同時に、この球場が市民に、もっと言えば、アメリカ人に愛されている理由がよくわかった。
野球が文化として根付いている……とはどういう感覚なのか。
アメリカの多くの野球ファンは、球場にグラブを持ってくる(勿論打球を持って帰るためでもある!)。アメリカの野球ファンは片手でホットドッグをかじることはあっても、両手が塞がり視線が落ちるようなお弁当は食べない。常に打球が飛んでくるという前提で、それぞれが行動を緩やかに規制している。それと引き替えに、野球を生で観る醍醐味を手に入れているわけだ。
アメリカに住む友人に、今回の日本ハムの訴訟事件についてアメリカでもこのようなことが起こりうるか聞いてみた。すると、こんな答えが返ってきた。
「訴訟が大好きなアメリカ人も、なぜか、野球にだけは寛大。会社で何人かに聞いてみたけど、みんな自己責任だと言ってたよ」
野球が文化として根付いているというのは、こういうことを言うのだ。