EURO2004 決勝弾丸観戦記BACK NUMBER
第3回 他人の祭りのあとに。
text by
川端裕人Hiroto Kawabata
photograph byHiroto Kawabata
posted2004/07/05 00:00
今、この文章を書いている部屋には、近くの広場で歌い、踊っているノイズが聞こえてくる。
やはり、負けてもお祭り。そういう国なのだ。
ぼくもさっきまでその場にいたのだけれど、時々物見遊山気分で訪れるギリシア人に拍手したり、抱き合って写真を撮ったり、とげとげしい雰囲気はまるでない。
ヨーロッパのほかのサッカーイベントは知らないから、こんな後味のよい「敗戦」がごくふつうのことなのか、それとも、類い希なるポルトガル人のおおらかさからくるのか分からない。でも、人の話などを総合するとたぶん後者だろう。そのことに感謝しつつ、一緒になって「フッテボール!」と連呼する歌を歌い、踊ってきた。
えも言われぬ解放感がある。陶酔の域に達している人たちの影響をもろにかぶって、こっちもハイになるのは簡単だ。
とはいっても、これってやっぱり他人の祭りだよなあ。ふと感じた瞬間に魔法が解けて、ホテルに帰ってきた。
さて、この一日のことを、なんと書けばいいだろう。
まず、朝から少し緊張していた。街を歩いてみると、広場では結集したギリシア人サポーターたちが気勢をあげており、「決戦」を前にしたピリピリした雰囲気に包まれていた。これがエスカレートしたらどうなるのか怖いと思ったし、「国と国」のぶつかりあいということがかくも強調されると、100パーセント楽しめない部分も出てきてしまう。いわゆる「戦後教育」を受けた世代として、我ながら不自由だ。
テレビでしきりと流されるリスボン周辺でのポルトガル側の盛り上がりも、それに輪を掛けた。どのチャンネルにしても朝からずっとサッカーの話題で、おまけにすっかり勝つ気でいるらしい。もしも負けたらどんなことになっちゃうんだろ、と心配。そして、やはり、ちょっと怖い。
でも、スタジアムについたら、そんな気分は吹き飛んだ。ヨーロッパではごく当たり前とは聞いていたけれど、日本での観戦に慣れた目には、信じられないくらいピッチが近い。フィーゴやC・ロナウドの足技が肉眼でちゃんと分かるのだ。それだけでサッカーが10倍楽しくなるし、選手たちとの一体感も生まれてくる。
試合内容としては、日本で衛星中継で見ていたとしたら「こんなポルトガル、負けちゃえ」と怒ってしまったかもしれない。でも、ここでなら、「生で見る」ことの付加価値がしっかりあるからそんな不満が起きてこない(日本だと逆で、テレビを見ていた方がよく分かる、と感じることがある)。そうか、ぼくはサッカーを見に来たのだと、あらためて思い出したほどだった。
試合終了後のルイ・コスタ。表彰式が済んでほかのイレブンが引き上げた後も、ピッチに残って、うつむいたまま行ったり来たり……。そうだった、ぼくはルイ・コスタの代表引退試合を見たのだと気づき、ジーンと来てしまった。でも間に合ってよかった、彼のプレーを肉眼で見ることがちゃんとできたわけだし、なおかつ、それがサッカーとして楽しいものだったのだから。
サッカーとして楽しい。それは一番大事なことだ。その意味で、EURO2004の決勝戦は、完璧だったといえる。なんとか潜り込んだ日韓ワールドカップの決勝戦だって、こんなに楽しくはなかった。隣の芝は実に青い。理由について、スタジアムの構造以外にもいろいろ思うところがあるのだけれど、今考え始めてもきりがない。きょうのところはこれでおしまい。あとは帰国してからの課題だ。
さて、原稿も終わったことだし、まだ残っているほかの仕事を片づけたら、また広場に繰り出そうかな。
歌ったり、踊ったりするよ。
他人の祭りだけど、やっぱり楽しまなきゃね。