プレミアリーグの時間BACK NUMBER
「宗教戦争」から「市民戦争」へ。
中村俊輔の新たな挑戦。
text by
田邊雅之Masayuki Tanabe
photograph byToru Morimoto
posted2009/07/16 11:30
来シーズン、中村俊輔は“政争”の渦中に身を置く。
所変わってスペイン。エスパニョール対バルサの一戦を演出するのは「政治の影」だ。
エスパニョールの特長は、「スペイン王立スポーツクラブ(Real Club Deportivo Español)」という、以前の名前に集約される。現在はカタラン語表記に改められ、「バルセロナの」という形容詞もついて(Reial Club Deportiu Espanyol de Barcelona)となったが、クラブが名乗ってきたのは地域名ではなく、あくまでも国名のスペインだった。
接頭語のRealやReialが英語のRoyal、王立や国王派を示す単語であることは言うまでもない。政治的には明らかに右派(極右)で、クラブのイデオロギーはスペインが王政や共和制、君主制を揺れ動いても変わらなかった。
もともとエスパニョールは1900年に発足した当初から、バルサへの対抗意識を強く打ち出していた。バルサが標榜するカタルーニャ主義やコスモポリタンな体質を否定し、選手もスペイン人だけを起用。コアなサポーターは、1930年代のスペイン市民戦争の間もアンチ・カタルーニャと国粋主義を貫き、フランコ将軍を支持したというのだから驚きだ。
彼らのスタンスは、他のクラブに寄せるシンパシーに端的に現れている。バルサは「世界で2番目に愛されるチーム(地元クラブの次に愛されるチーム)」と呼ばれるが、エスパニョールのサポーターにとって「世界で2番目に愛すべきチーム」は、自分達と似た政治的信条や過去(フランコ将軍の寵愛を受け、中央集権主義の悪しきシンボルとなった)を持つレアル・マドリーに他ならない。
この意味においてカタルーニャ・ダービーは、クラシコ(レアル対バルサ)の構図に重なってくる。セルティック同様、エスパニョールも近代化を試みているのは事実だ。そうでなければ中村俊輔に声などかけるはずがない。しかし他方でカタルーニャ・ダービーは、市民戦争をはじめとするスペイン現代史の名残りを、いまだに留めているのである。
「目に見えない要素」も欧州サッカーの大きな魅力。
来季、日本のファンが着目するのは、中村俊輔がエスパニョールで活躍できるのか、デ・ラ・ペーニャを押しのけ、かねてから憧れを口にしていたスペインリーグで結果を残せるかどうかといった類のことだろう。(新たな挑戦の行方は、日本サッカー全体の可能性を探る上でも大きいし、代表へのフィードバックという点でも意義深い)
だが、どうせ明け方までTV中継を観たり、現地にわざわざ足を運んだりするのなら、「目に見えない要素」も是非、頭の片隅に入れておいて欲しい。文化、社会、宗教、政治、民族、地域といったエッセンスは、欧州サッカーとは切っても切れない存在であり、さらに深い味わいと愉しみをダービー・マッチに与えてくれる、絶妙なスパイスなのだから。