カンポをめぐる狂想曲BACK NUMBER
From:モナコ「スーパーカップに思うこと。」
text by
杉山茂樹Shigeki Sugiyama
photograph byShigeki Sugiyama
posted2006/09/01 00:00
UEFAのお祭り「スーパーカップ」でバルサに一抹の不安を感じ、
そのバルサに快勝したセビーリャに心を洗われた。
こんな試合のできるセビーリャのように日本代表がなってくれるといいのだけど。
夏の終わりになると、僕は決まってニースを訪れる。お隣のモナコで「スーパーカップ」が行われるからだ。大真面目な一戦ではない。欧州のシーズン開幕を彩るUEFAのお祭り的なイベントだ。そのあたりのことは重々承知しているつもりだが、それでも僕はこのコートダジュールの旅に、意義深さを感じている。
いろいろをリセットし、マイペースを取り戻すにはもってこいの場所なのだ。チャンピオンズリーグの覇者と、UEFAカップの覇者が対戦する一戦を、現場で眺めていると、忘れかけていた昨季が、思い起こされてくる。同時に、今季を展望することもできる。舞台がコートダジュールという、サッカーのメッカではない場所であるところが、また良いのだ。必要以上にのめり込むことがない環境が。バランスは、この方が保ちやすい。
今回の場合は、ドイツW杯がその間に行われた。目の前のピッチには、そこでプレイを見た選手が何人もいる。ブラジル代表も、オランダ代表も、ポルトガル代表もいる。アフリカ予選で敗れ、W杯本大会にでそびれてしまったカメルーン代表選手もいる。自ずと、日本代表の姿も脳裏をかすめる。ジーコジャパンのことなど、とっとと忘れオシムジャパン誕生に湧く日本の姿も。
よくぞそこまで、素早く切り替えるものだ。不思議さを通り越して感心さえしてしまう。ジーコジャパンがドイツW杯で惨敗を喫し、オシムジャパンが誕生する姿は、江戸から明治に時代が切り替わったぐらい大きな出来事である。第2次世界大戦で敗れ、軍国主義から平和主義へ切り替わった姿とも似ている。巷には、価値観の激変に、戸惑いを隠しきれない人が数多く溢れているのが普通。自然な姿だと僕は思う。オシムジャパンを讃美する声が、そういう意味で、僕にはとても不自然に感じる。サッカーの方向性は悪くないとは思うけれど、ちょっと待ってよと言いたくなるのだ。
メディアの暴走も目立つ。'90年イタリアW杯に臨んだユーゴ代表って、そんなに良かったっけ??? 勝ち馬に乗りたい気持ちは分かるけれど、それはちょいと無理矢理だ。あのチームは、むしろベンチに問題があった。選手の質は高かったが、サッカーはとても甘かった。アルゼンチン代表に引き分けたからといって、好チームだったわけでは全くない。当時、ユーゴのサッカー(オシムのサッカー)を絶賛した人がいた記憶も全くない。シュトルム・グラーツもしかりだ。チャンピオンズリーグで、好チームぶりを発揮したわけではない。少なくともオシムは、話題をさらうようなサッカーを欧州で披露した過去はない。知る人ぞ知る人物の域を脱し得ないのだ。
ベンゲルとは違う。思い出すのは'93〜'94シーズンのチャンピオンズリーグだ。ベンゲル率いるモナコは、その2次リーグでバルセロナと対戦した。僕はその試合を、ここ「ルイ2世」スタジアムで観戦している。ロマーリオやストイチコフのいたバルセロナ。クライフが監督を務めていたバルセロナを相手に、ベンゲルはそれなりのサッカーを見せていた。それに名古屋グランパスでの実績がダメを押したわけだ。オシムがジェフで収めた実績は、ダメ押しという形になっているわけではない。
もっとも、オシム讃美の声を訝しがっている張本人は、オシム自身ではないだろうか。一転、彼を持ち上げるわけではないが、僕はオシムの口から発せられるコメントが大好きだ。へそ曲がりというか、偏屈ものというか、くそ爺というか、そのキャラはいまの日本には、とても貴重な気がする。一緒になってはしゃごうとしないところが、何より良い。代表監督というより評論家にしたいぐらいだが、それはともかく、取材対象者である代表監督自身が、世の中の重しになっている姿は、よく考えれば、いただけない話だ。日本にはつまり、良い大人が極端に不足していることになるわけで、その点こそが「こちら」との決定的な差になる。
それにしても、今季のバルセロナは、ちょっと危ない気がしてならない。バルサ対セビーリャ戦を見て僕はそう思うのだ。セビーリャのサッカーの方が100倍も良い。100倍は言い過ぎとしても、知る人ぞ知る選手で固めたチームが、超有名選手で固めたチームに圧勝する姿は、見ていてとても気持ちが良い。痛快な気分になれる。日本代表がこの日のセビーリャになれる日は、いったいいつ訪れるのか。監督が替わったぐらいじゃあって気がして仕方がないのだけれど。